HOOKSOFT(フックソフト)は株式会社ロボプランニングによるアダルトゲームのブランド。 2008年12月2日以前の名称はHOOK(フック)。パートナーブランドの一員。HOOK SOFTWARE CREATIONS(フックソフトウェアクリエイションズ)とも。
姉妹ブランドとして、SMEE、ASa Project、Tily[1]およびTJR[2](活動休止[3])がある。
HOOKSOFTとSMEEは設立時より共通のスタッフで演出・編集を行っており、基本的に制作陣は同一。[4]なお、ASa Projectは同一法人ではあるがホームページおよび構成スタッフは異なる。[5]
経緯
サークル時代
イトセキミナトは、高校3年生時に同学年のkeiをさそい、同人サークル「ティングアベル」を結成した[6]。武田弘光は高校時代に自作のホームページにCGを載せていたところ、イトセキに見止められた[6]。山根呂兵はゲーム専門学校に行った後に、インターネットのチャットにおいてイトセキに誘われて「ティングアベル」に参加した[6]。川波無人は一般企業に勤めた後、ゲーム制作の夢を諦めきれずゲームデザイナー学院に入り、同人サークル「ソフトハウス吾」(そうふとはうすあ)を結成した[6]。亜佐美晶は大学時に同人サークル「サテライン」を結成した[6]。ゲームをつくるに当たり、プログラマーを募集したところ「ソフトハウス吾」のメンバーが手伝いに来ることにより交流を持つようになる[6]。
ブランド「HOOK」設立
1999年夏に同人サークル「ティングアベル」代表のイトセキミナトが中心となり、同人サークルの法人化という形で設立[6]。イトセキは設立に当たり、同人サークル「サテライン」「ソフトハウス吾」に声をかけ、メンバーを募集する[6]。「サテライン」のメンバー亜佐美はゲーム制作を職業に希望しており、イトセキの誘いに乗る[6]。これにより「サテライン」は解散し、設立に不参加のメンバーは別れる[6]。「ソフトハウス吾」の川波はゲーム制作の下請け会社に勤めた後に、一般企業に勤めていたところ、イトセキの誘いがあり、再びゲーム制作会社に勤めることを決意する。
2000年4月に有限会社を設立し[7]、イトセキが社長に就任。第1作『雨あがりの猫たちへ』の制作発表に当たり、2000年12月にブランド名を「HOOK」に変更[8]。2001年6月15日に同作を発売し、5000本売れたことで、2001年9月に向ヶ丘遊園で初の事務所を構えた[6][8]。
「HOOK」解散の危機
メンバーは口だけの社長イトセキに不満を募らせており、イトセキ社長の実質上の解任を行う。しかし、年収の低さ等は解消せず、不満はわだかまっていた。川波と山根以外はほぼ出社しておらず、実質上の解散となっていた[6]。一方、川波は『雨あがりの猫たちへ』の制作で不満を募らせており、これまでと違うメンバーで制作を行いたいと考える[6]。原画家がいなかったため、「ソフトハウス吾」のメンバーの弟であり、雑誌の投稿で名を得ていた宅本うとを原画家に採用する[6]。その際予めメンバーに相談せずに、第2作『天紡ぐ祝詞』の企画を販売元に提出し、了承が出たため制作を開始する[6]。終盤になると亜佐美とkeiが加わり、何とか発売にこぎつける。
「天紡ぐ祝詞」の販売目途が立ったところで、第3作『OrangePocket』の制作を始める。会社に籍が残っていたものの依然として出社していなかった武田に原画の担当を頼むが断られる。山根が武田を説得して、『OrangePocket』の制作が開始する[6]。販売元から制作資金を調達後、『天紡ぐ祝詞』の営業が全く行われておらず、同作の予想販売数が2000本と当初の予想7000本から大きく外れることが発覚する[6]。実際の売上も振るわず、借金を抱えることになる。
『天紡ぐ祝詞』がマスターアップすると、「FILM-SOFTWARE」の第1作『なないろ 恋の天気予報』の手伝いに仙台へ行くことになる[6]。ほぼ完成しているという話だったが、手伝いにいってみると発売4ヶ月前にもかかわらず、1%程しか完成していなかったため、急遽「HOOK」スタッフが手伝いに参加した[6]。『なないろ 恋の天気予報』のマスターアップ以降も「FILM-SOFTWARE」代表から制作場所だった一戸建ての家を引き続き使用してよいといわれたため、『OrangePocket』の制作を行う[6]。ところが2002年10月25日に販売された『なないろ 恋の天気予報』に大きなバグが発覚し、「FILM-SOFTWARE」代表は失踪し実質上の解散となる[6]。これにより「FILM-SOFTWARE」のメンバー松下まかこ、らっこ、GTが、『OrangePocket』の制作を手伝うようになる。
12月末まで仙台で制作していたが、光熱費を支払っていなかったため、電気・ガスが止まる[6]。仕方なく東京に帰ったところ、イトセキが会社解散を発表する[6]。イトセキは制作には関わっていなかったものの、法的には代表取締役社長であったため、イトセキは会社を解散させることができた。
「株式会社ロボプランニング」傘下へ
会社が解散になり、個人だと税金の問題や権利関係が複雑になるため、『OrangePocket』の発売元をどうするかが問題になった[6]。個人名義の販売も考えたが、「株式会社ロボプランニング」が名義を貸してくれることになり、「HOOK」は「株式会社ロボプランニング」傘下のブランドとなる[6]。事務所は販売元のビルの一室を借りることで解決する[6]。2003年6月13日に無事発売された『OrangePocket』は「HOOK」設立以来のヒット作となり、そのお金で2003年8月に秋葉原に事務所を構える[8]。松下、らっこは、「FILM-SOFTWARE」の復活は無理と諦め、「HOOK」の正式メンバーとなる[6]。一方で、武田は「HOOK」を退職する[6]。ここで「HOOK」における原画家が武田から松下、らっこに移ることになる。
2004年5月28日に第4作『LikeLife』を、2005年7月15日第5作『_summer』を発売。2005年9月に、寝泊まり不可の物件で寝泊まりしていたため秋葉原の事務所を追い出されてしまい、各所を探し回った結果、2006年2月に別の事務所へ移る[8]。2006年8月には、姉妹ブランド「TJR」と「SMEE」を立ち上げる。
「株式会社インターアパレル」に移動
2007年の時期は不明だが、「HOOK」は「株式会社ロボプランニング」から「株式会社インターアパレル」内の開発チームとして全員転籍し、2007年6月29日第6作『HoneyComing』を発売する。ただし、当時「HOOK」が開発してる秋葉原の開発室の表記では「株式会社ロボプランニング」になっていた。2008年10月10日に第7作『FairlyLife』を発売。
新ブランド「HOOKSOFT」へ
2008年10月末をもって現スタッフ全員が「株式会社インターアパレル」を体面上円満に退職。2008年12月2日に「HOOKSOFT」を新たに設立(事実上の独立)し、ホームページも一新した。
2010年、『さくらビットマップ』の開発途中で主要原画家のらっこが退社した [9]。フリーになったらっこは、しばらくの間も作品の原画を担当していたが、2014年1月31日発売の『MeltyMoment』をもって、原画家を引退した[10][11]。
2020年、20作目にしてブランド設立20周年作品『放課後シンデレラ』を発売し[12]、2022年にはその続編となる『放課後シンデレラ2』を発売した[13]。2023年には低価格帯ブランドTilyが誕生し、デビュー作として『dROSEra 〜レディ・バッドエンドの初恋〜』が発売された[1]。
作風
HOOKSOFT
HOOKSOFTの作品は、“純愛”をテーマにした学園ラブコメディが多い[8]。ブランド代表の亜佐美晶によれば、自身がかつて男子校に通っていたため、「こんな青春を過ごしてみたかった」という願望や妄想から作っている[8]。またユーザーとのつながりを“仁義”と捉えており、ユーザーの嫌がることはせず、できるだけユーザーの意見を取り入れた物作りを心がけている[8]。
SMEE
SMEEのプロデューサーである宅本うとは、SMEEの作風について「『二次元萌え』をテーマとしているが、アダルトゲームのヒロインである以上可愛いだけでなく性的な魅力も必要であると私は考えています。そのようなヒロインを描こうとすると、ある程度精神的に成熟した、頭身の高いヒロインが必要です。そして、そのようなヒロインをちゃんと描けることにより、ロリ系ヒロインの個性もたてられると考えています」と2017年のGame Headlineとのインタビューの中で述べる一方、「自分の作りたいものを突き詰めた方がHOOKSOFTとの個別化も達成できるため、そのようなことはあまり難しく考えないようにしています」とも述べており、SMEEの多彩さをユーザーが楽しめるようにするためにも、開発上の縛りは設けないという方針をとっていることを明かした[14]。
また、「二次元萌え」の一環として、各作品の公式ウェブサイトのレイアウトは性風俗業のウェブサイトを参考にしている[14]。
たとえば、2017年11月24日発売の『Making*Lovers』は出会い系サイトのレイアウトを参考にしており、トップページにアクセスすると「どんな恋愛をしたいか」という旨の質問文が表示され、その下にある選択肢のボタンを押すと各ヒロインのページに移動するという演出がとられている[14]
Tily
既存のブランドにはゲーム作りに枠のようなものが出来上がってしまったため、「HOOKSOFTやSMEE、ASa Projectでは作れないゲーム」を作るための新ブランド。作品内容の縛りはないが、低価格路線は決定している。[1]
作品一覧
HD版は省略する。
姉妹ブランド
- SMEE
上記の他、番外として2019年12月27日にあざらしそふとと合作のダウンロードゲーム『あざスミ 〜あざとくてスミに置けない彼女〜』をFANZAでリリースしている[26]。
- ASa Project
- TJR
- Tily
スタッフ
現スタッフ
- 企画、プロデュース
- 亜佐美晶[8] - 創立メンバー 現HOOKSOFT代表[8][28]。
- 山根呂兵[8] - 創立メンバー グラフィックチーフ[8]。『Strawberry Nauts』より監修担当。
- 宅本うと[8] - 姓の読みは「やかもと」[8]。『天紡ぐ祝詞』より参加。SMEEでプロデュース・監修担当。
- ELMA - 『SuGirly Wish』より監修担当。
- シナリオ
- 早瀨ゆう -『らぶでれーしょん!』以降SMEE作品[29]。2020年に退社し以降は外注として参加[30]。
- モーリー - 外注。『FairlyLife』以降のHOOKSOFT作品。
- 原画
- 松下まかこ[8] - 『LikeLife』より担当。元「FILM-SOFTWARE」。
- 桜はんぺん - 外注。『さくらビットマップ』以降のHOOKSOFT作品。
- ひなたもも - 外注。『晴れハレはーれむ』および『ラブラブル』以降のSMEE作品。
- あめとゆき - 外注。『ラブラブル』以降のSMEE作品。
- らっこ[8] - 『LikeLife』より担当。元「FILM-SOFTWARE」スタッフで、2010年に退社してフリーになった後もHOOKSOFTの原画を担当(『Sugirly Wish』・『LOVELY QUEST』)を続けていた。だが、2013年7月に「14thProject」にあたる『MeltyMoment』をもって業界から完全に引退した。[10][11]
- 羽鳥ぴよこ - 外注。『Strawberry Nauts』以降のHOOKSOFT作品。
- 鈴平ひろ - 外注。『さくらビットマップ』『トラベリングスターズ』のみ担当
- その他
- 真海 - ちびキャラデザインやサブ原画を担当している(ゲームEDのクレジットにしか表示されておらずパッケージには表記されていない)。
- 蜜キング - 『PriministAr』でサブ原画を担当している。
- 宅本うと - 『天紡ぐ祝詞』で原画を担当している。
- 山根呂兵 - 『さくらビットマップ』のみサブ原画の一部を担当している(ゲームEDのクレジットには他で一括りになっているが、初回特典「さくらビットマップに巡り会うまで~超豪華10周年記念ブック!」で明らかにされている)。
- デバッグ・編集
- VII[8] - 『天紡ぐ祝詞』より参加し、「OrangePocket」で正スタッフ。
- スクリプト・編集
- 黒木ノア[8] - 「システムスクリプト」・「スクリプト統括」などでクレジットされることもあり。
- プログラム
- 市郎次 - 外注だが、2作目『天紡ぐ祝詞』以降すべて担当。
- 広報
- 伊藤直子 - 2009年から参加。
- 飴乃あめ - 2020年3月から参加。[31]
旧スタッフ
- 旧会社社長
- イトセキミナト - 創立メンバー。有限会社解散により辞職。
- シナリオ
- 川波無人[8] - 創立メンバー。2010年に退社して現在フリー。
- 雪仁 - 外注。『さくらビットマップ』より『Strawberry Nauts』までシナリオ担当。その後主宰サークルで独立しSMILE(スミレ)を立ち上げる。
- 原画
- 武田弘光 - 創立メンバー。『OrangePocket』制作後に退社し、外注。
- もとみやみつき - 『Strawberry Nauts』より担当。「みつき」とは同一人物。原画およびチーフグラフィッカー担当時はこの名義。2013年10月末付けで退社。
- デザイン
- kei[8] - 創立メンバー HOOKSOFTブランドの原画をプロデュースしている。女性原画家の繊細なタッチに拘りを持っている。2013年10月末付けで退社。
脚注
参考文献
- HOOK『HOOK VISUAL BOOK』2005年。 (_summer特典)
- 『Strawberry Nauts ビジュアルファンブック』
関連項目
外部リンク