2010年長崎県知事選挙
2010年長崎県知事選挙(2010ねんながさきけんちじせんきょ)は、2010年(平成22年)2月21日に投開票が行われた長崎県知事を選出するための選挙。 概要現職の金子原二郎の任期満了に伴う知事選挙。現職の金子は前年9月には、県議会の答弁の中で4選出馬に大いに出馬に意欲を見せ、出馬はほぼ間違いないとされていた[1]。しかし、11月に入り金子が「自ら取り組んだ仕事に一定の道筋がついた」として4選不出馬を表明した[2]。金子に出馬を望んでいた自民党県連や既に候補者選考を進めている民主党県連などからは驚きの声があがった。 金子の出馬が無くなり、自民党県連は一度、民主党との相乗り候補の擁立も視野に入れていたが断られ、候補者選考を急いだ。その中で藤井健、中村法道両長崎県副知事の名前が県連内から挙がり、調整を行った[3]。この内、藤井は国交省の出身で「国交省に戻る必要がある」と述べ、自民党県連は中村に出馬要請を行い、本人も承諾。中村が知事選に名乗りを挙げた[4]。 自民党県連の相乗り要請を断り、独自候補擁立を目指す民主党県連は推薦届の提出を受けた数名の候補者などと接触を行った結果、農水省官僚の橋本剛を最終的に擁立した[5]。しかし、自民党などからは衆院選で「脱官僚」を掲げた党がなぜ官僚の橋本を擁立したのかという疑問の声が漏れた。尚、橋本は民主党県連には推薦願を出してはおらず、推薦届を出した候補からは恨み節とも取れる発言もあった[6]。 ここに、同県出身のプロレスラー、元参議院議員で抜群の知名度を誇る大仁田厚、民主県連に推薦願を出していたうちの一人で県議会議員の押渕礼子、共産党推薦で前共産党県委員長の深町孝郎がそれぞれ無所属での立候補を表明[7][8][9]。更に、告示直前には諫早市の会社役員の山田正彦[10][11]、元会社員の松下満幸[12]も立候補を表明し、最終的に過去最多の7人による選挙戦となった。 この他、民主県連に推薦願を出し、いち早く出馬を表明していた前ルーマニア大使の東良信[13]と同じく民主県連に推薦願を出していた県議会議員の高比良元[14]は最終的に出馬を断念し[15]、両者は橋本の支援を表明[16][17]。党内分裂は回避された。 各党の対応は、共産党が深町を推薦[9]。自民党県連と公明党県本部が中村を全面支援[18]。政権与党となった民主党と連立を組む国民新党、社民党が橋本を推薦した[19][20][18]。この他、連合長崎は橋本の推薦を決定している[21]。 選挙データ告示日
執行日キャッチコピー一票が 明日の県政 生む力 立候補者7名、届け出順。
選挙のタイムライン
各候補の訴え(届け出順)
選挙結果投票率は60.08%で、前回2006年の52.27%を上回り、投票率は1998年以来の60%代となった(前回比 +7.81%)[22]。当日の有権者数は117万4280人で投票者数は70万5465人であった[23] 。 候補者別の得票数の順位、得票数[24]、得票率、惜敗率、供託金没収概況は以下のようになった。供託金欄のうち「没収」とある候補者は、有効投票総数の10%を下回ったため全額没収された。惜敗率は未発表のため暫定計算とした(小数3位以下四捨五入)。
結果は、自民党と公明党が実質支援を行った中村は37年間の県での行政経験を基にした即戦力をアピール。民主党などが推薦した橋本やプロレスラーの大仁田らを抑え、与野党対決を制し初当選を果たした[25]。橋本は若さと県政刷新を訴え、民主党などの政権与党の推薦を受けて選挙戦を展開したが、及ばず。抜群の知名度を誇る大仁田は、草の根選挙を徹底。背水の陣で臨んだが得票率3位止まりであった。 共産党推薦の深町や無所属で県議の押渕などは、全県への支持が広がらなかった。 脚注
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