(秘)女子大生 妊娠中絶

㊙女子大生 妊娠中絶
監督 小西通雄
脚本 北沢三六
佐伯嘉則
出演者 賀川雪絵
加藤嘉
山本豊三
橘ますみ
浦辺粂子
梅宮辰夫
音楽 伊部晴美
撮影 山沢義一
編集 祖田富美夫
製作会社 東映東京
配給 日本の旗 東映
公開 日本の旗 1969年3月30日
上映時間 82分
製作国 日本の旗 日本
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(秘)女子大生 妊娠中絶[1](まるひじょしだいせいにんしんちゅうぜつ)は、1969年日本映画賀川雪絵梅宮辰夫主演[2]橘ますみ・賀川雪絵W主演[3][注釈 1]小西通雄監督。東映東京撮影所製作、東映配給。R18+[5]

セックス自由化の波が日本に押し寄せてから既に数年。快楽を求めフリー・セックスを実践する女子大生の性生活を描く風俗映画[5][6][7]

キャスト

スタッフ

  • 監督:小西通雄
  • 脚本:北沢三六・佐伯嘉則
  • 企画:園田実彦・安斎昭夫
  • 撮影:山沢義一
  • 美術:北川弘
  • 音楽:伊部晴美
  • 録音:内田陽造
  • 照明:銀屋謙蔵
  • 編集:祖田富美夫

製作

企画

東映の映画製作のトップ・岡田茂常務兼企画製作本部長が[8]、1968年下半期の"刺激性路線"に続き[8]、1969年に打ち出した"性愛路線"(東映ポルノ)の一本[9][10][11][12][13]

岡田が『大奥㊙物語』(1967年7月公開)以降[14][15][16]、路線化していた「㊙シリーズ」の[16][15][17]、『続大奥㊙物語』『尼寺㊙物語』『㊙トルコ風呂』『謝国権「愛(ラブ)」より ㊙性と生活』に続く第6弾にあたる。

石井輝男監督の『異常性愛記録 ハレンチ』や『徳川いれずみ師 責め地獄』などが石井輝男"異常性愛路線"として知名度が高いが[18][19]、岡田本部長が1968年暮れに1969年"性愛路線"東映ラインナップとして発表したのは、『異常・残酷・虐待物語・元禄女系図』(『残酷・異常・虐待物語 元禄女系図』)『異常性愛記録 ハレンチ』と本作『女子大生・妊娠・中絶』(『女子大生 妊娠中絶』)に、この他、『トルコ風呂・指先の魔術師』『婦人科秘聞・下半身相談』『元禄いれずみ師・責め絵』(『徳川いれずみ師 責め地獄』)『温泉ポン引女中』『不良あねご伝』『やざぐれのお万』(『やさぐれ姐御伝 総括リンチ』か)など[12][13]、石井監督以外の作品も含まれており、1969年の東映エロ映画は石井監督作品以外も"性愛路線"に含まれていた[20]。本作も"性愛路線"の一本で、当時の映画誌に荒井美三雄監督の『温泉ポン引女中』を"性愛路線第七作"と紹介した記述が見られることから[21]、本作は"性愛路線第三作"と見られる。

当時の東映は、岡田本部長が指揮する"任侠路線"と"性愛路線"で稼ぎまくり[8][22][23][24]、映画大手五社で唯一の黒字を出し、東映ファンからも支持を受けていたが[23][25][26]世間からも東映内部の組合からも問題視された[22]。“任侠路線”と“性愛路線”の提唱者である岡田は[10]、「どんなに悪者扱いされようと大衆が喜ぶものをつくるだけ。笑わせる、泣かせる、手に汗を握らせる映画をつくりたい。ヤクザとエロは続ける」と開き直っていた[10]

タイトル

当初のタイトルは『女子高生の性生活』だったが[3]、『㊙女子大生 妊娠中絶』に変更になった[3]女子高生が女子大生になったのは、東映が考えるエロ映画では女子高生では作りにくいという事情があったとされる[3]

東映ポルノのタイトル命名は全て岡田茂[25][27][28]。今日ではあり得ない本作のタイトルも、岡田命名タイトルの中で最もえげつないものの一つとされ[29][30]、「これが本当に映画人のセンスなのか?」と呆れられた[29]。メジャー映画会社で映画のタイトルに"妊娠"を使用したのはピンク映画大映の方が早いが、"妊娠中絶"をタイトルに使用したのは後にも先にも本作一本のみである[31]

この年は正月明けから『残酷・異常・虐待物語 元禄女系図』『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』『謝国権「愛」より ㊙性と生活』『異常性愛記録 ハレンチ』『妾二十一人 ど助平一代』『㊙女子大生 妊娠中絶』と、メジャー映画会社とは思えない振り切ったエログロ満載の文字づらを並べて売りまくり[22][23]、当時の東映のピンク映画(東映ポルノ)は、ピンクプロダクション製作のピンク映画顔負けどころか、遥かに凌駕するドギつさといわれた[29][30]。女優たちも、この後どんな凄い題名が続出するかビクビクしていたといわれる[30]芸能記者の間では「東映の女優たちには、あなたいま何に出演してる?と聞かないのが思いやり」というのが合言葉[30]。本作に出演する賀川雪江や橘ますみもタイトルを聞かれたら「女子大生よ」と省略して言った[30]。当時はこのようなえげつない絵面のポスターが大量に街に貼り出された[32]。東映の社員やスタッフは誰も抗議をしないのかと言われていたため[30]、数ヵ月後に石井輝男排斥運動が起きた際には「当たり前だろ」と胸を撫でおろしたマスメディアもあった[30][33][34]

キャスティング

梅宮辰夫は封切時のポスターに友情出演と書かれているが[35]、映画のポスターにも大きく顔写真が載り、ポスターの惹句にも"女同士じゃつまんないぜ…!プレイボーイ梅宮がレズビアンの白い肌に火をつける"と、梅宮主演の風俗もののような宣伝がなされた[35]

1969年1月25日に発表された1969年3月~5月上旬までの番組発表等では、本作の出演者に大原麗子の名前がある[7][36]。麻理子役で出演する木山佳は、製作当時の新聞記事では木川佳(よし)と書かれており[11]、石井監督の映画に続けて出演し、ハダカ、異常も平気と度胸の良さから、本作で主演に抜擢の声が上がっていた[11]

撮影

レズシーンを演じた橘ますみ賀川雪絵は、実生活でも仲が良く[37]、いつも一緒に行動し、京都でドライブ中事故を起こし、2人仲良くムチ打ち症になった。これを受けて2人のレズシーンの実演が発案された[37]

本作の見せ場である橘と賀川の全裸レズシーンの撮影が、1969年2月25日に東映大泉撮影所で朝から晩まで行われ、報道陣が大勢取材に押しかけた[38][39]同性愛濡れ場マスメディアに公開した初めてのケースと見られ[38]、当時の新聞記事に「社会的にもレズ、ホモが氾濫しているだけに東映大泉撮影所のセットは、テレビ、雑誌の取材記者でごった返している。プロパンガスのストーブの前には、テレビ雑誌のカメラマンがうようよ。座る場所もない。『レズビアンシーンというのはこんなに反響があるんですね』とこちらは取材記者の対応でクタクタですわ』と早くもグロッキー気味なのは宣伝マン」と書かれた記事が載る[38]。レズビアンの演技指導は当時『レズビアンテクニック』という著書がベストセラーになっていた秋山正美[38]。公開時の映画ポスターにも監督と脚本クレジットの間に「レズビアン指導・秋山正美」と記載された[35]。2人の迫真の名演技には秋山も感心していたという[38]第二書房伊藤文學も撮影を見学し、『出版物より映画の方がスゴイ。こちらも少し考えなければ…』と驚き、本には想像の楽しさがあるが映画はズバリ見せる、その相違にたまげていた」と書かれた新聞記事が載る[39]。大手映画会社、あるいは商業映画を含めて、全裸でのハードな同性愛レズビアン・ゲイ映画)の濡れ場の撮影が行われた初めてのケースの可能性がある[38]

女子学生が寄宿舎内でレズのボスになったり、トルコ風呂でアルバイトをする描写に東映の労働組合が問題視し、全東映労連組合ニュース1969年2月14日号で「低劣、薄汚い好奇心で凝り固まった映画」と糾弾した[22]。当時の東映のエログロ映画は正規のシナリオとは別に、表紙に題名の書かれていないシナリオを別に作り、ロケ地の交渉や対外折衝には表紙に『初恋』というタイトルを書き、交渉に当たった[22]。またロケ地で見物人に題名を聞かれたらスタッフは「『初恋』です」と答えた[22]。東映のエログロ映画のタイトルは全て『初恋』だった[22]。また現場の助監督は『しぶき』を噴射させるのに一番苦労していたといわれる[22]。この『しぶき』が何なのかは分からない。

興行

前年の夏興行でも『太陽の王子 ホルスの大冒険』や『ウルトラセブン』『魔法使いサリー』『ゲゲゲの鬼太郎』のラインアップだった夏休み東映まんがまつり(東映漫画オンパレード)の前後に怪談映画やエロ映画、ヤクザ映画を掛けて、興行方法の見直し議論が起きたが[40]、本作も『長靴をはいた猫』『怪物くん 砂魔人をやっつけろの巻、怪物くんとハニワ怪人の巻』『ひみつのアッコちゃん サーカス団がやってきた』『チャコとケンちゃん』『ひとりぼっち』のラインアップだった春休み東映まんがまつりの直前に上映し[35]、当時の封切館は次回予告も合わせた看板ポスター横断幕等が掛けられていたため[40][41][42]、本作のポスターが子供たちの目に触れた可能性が高い。

作品の評価

興行成績

批評家評

岩崎昶は本作を扱った記事で「初めのうちはテレビとの競争の対策としてとられた性と暴力と残酷が、時として逆効果を招いたことに人は長い間気がつかなかった。その上、フランスヌーベル・バーグ映画の波がはるばると打ち寄せてきて、それは性と政治の連続としてかつ等価のものとして日本の若い人たちをとらえた。日本映画は有史以前の大混乱に陥ってしまった」と分析した[22]。『朝日ジャーナル』は「世界でスウェーデンデンマークはフリー・セックスの国として定評があるが、この頃は日本映画もポルノグラフィティー映画として有名になって来た。但しセックスを扱った映画でも、多くの北欧ものは表通りの映画館で堂々と上映されているのに、日本のエロものは裏町で薄汚ごれた客を集めていると聞く。ベルイマンの映画と「しぶき」映画では、どだい質が違うのだ。『性の解放』とか『客が喜ぶ映画』とか大きなことをいうそばから、低劣な商業主義が顔を出している」などと東映のエロ映画を批判した[22]

同時上映

影響

当時、東宝以外の松竹日活大映は、東映のマネをし[22][39]、自社のヤクザ映画が東映に敵わないのは何故か、観客動員数、興収データなどを調べて、東映以上に東映的になろうと必死の努力を続けた[22]。特に当時負債が100億を越え潰れるのでないかとウワサされた日活は[22][43][44]、堀雅彦常務製作担当が1969年の夏から、日活お家芸の"青春路線"を中止させ[45]、題名から内容まで徹底的に東映作品のマネをした映画製作を決定した[22][43][44][46]。『朝日ジャーナル』は「「中身はヤクザとエロの柳の下のどじょうを三匹も四匹を探して、われもわれもとマネをするのが日本映画の経営者のようだ。こんな商品で消えた8億の観客を呼び戻せるわけがない。日本の映画経営者がいま考えていることは、テレビや新しいレジャー形態に、いかに映画が対応してゆくかという方策ではなく、いかにしたら会社を無事に二代目ジュニアたちに譲り渡せるかだと聞く。奈落の底まで転落しなければ、日本映画五社の再生は望めないのかもしれない」などと批判した[22]

脚注

注釈

  1. ^ 『日本映画俳優全集・女優編』には、賀川の本格的初主演作と書かれている[4]

出典

  1. ^ ”。“秘” を丸で囲った “マル秘”、数値文字参照:[㊙]
  2. ^ 「New Cinema Corner (秘)女子大生 妊娠中絶」『キネマ旬報』1969年4月下旬号、キネマ旬報社、73頁。 
  3. ^ a b c d アウトロー女優 2017, pp. 35–36.
  4. ^ 俳優全集 1980, p. 183.
  5. ^ a b マル秘 女子大生 妊娠中絶”. 日本映画製作者連盟. 2020年5月3日閲覧。
  6. ^ 「グラビア (秘)女子大生 妊娠中絶」『キネマ旬報』1969年4月上旬号、キネマ旬報社、73頁。 「封切映画紹介 (秘)女子大生 妊娠中絶」『キネマ旬報』1969年4月下旬号、キネマ旬報社、74-75頁。 「今週のトピックス 雪絵&ますみのレス・シーン」『週刊大衆』1969年5月20日号、双葉社、158頁。 
  7. ^ a b “これがドル箱路線とは? (焦点 盲点) ハレンチまかり通る 安い製作費で大当たり ドギツさ押し売り”. 東京タイムズ (東京タイムズ社): pp. 7. (1969年2月18日) 
  8. ^ a b c 映画界のドン 2012, pp. 328–329.
  9. ^ “'69のホープたち 映画巻き返しの"先兵" 各社『大作』で売り出す”. 東京タイムズ (東京タイムズ社): pp. 10. (1969年1月26日) 「文化チャンネル映倫泣かせの男が映画の目付け役に」『週刊朝日』1971年10月15日号、朝日新聞社、127頁。 
  10. ^ a b c “〔娯楽〕 現代の映画とセックス ますます大胆な追及 人間の深奥へ”. 読売新聞夕刊 (読売新聞社): p. 9. (1970年3月7日) 
  11. ^ a b c “勇ましい女優 木川佳(よし) ハダカ、異常も平気ョ 東映の性愛路線で度胸満点の演技”. 東京タイムズ (東京タイムズ社): pp. 10. (1969年3月9日) 
  12. ^ a b 「〔げいのう ルック〕 呆れはてた東映ハレンチ作品目録」『週刊読売』1969年2月6日号、読売新聞社、32頁。 「〔トップに聞く〕 岡田茂常務 東映映画のエネルギーを語る」『キネマ旬報』1969年6月下旬号、キネマ旬報社、126-128頁。 
  13. ^ a b 「ピンク色に染まる"ヤクザ東映"」『サンデー毎日』1969年1月5日号、毎日新聞社、45頁。 
  14. ^ 増田愛子 (2011年5月31日). “(ニッポン人脈記)時代劇で候:男も女も魅せられて”. 朝日新聞夕刊 (朝日新聞社): p. 2 
  15. ^ a b “映画東映の"お家芸"に終止符”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社): p. 10. (1969年4月9日) 
  16. ^ a b “ウラ話うら話 東映助監督と会社側 "エログロ"めぐり内紛”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社): p. 15. (1969年4月30日) 
  17. ^ 「春来たる、新人監督蠢動中!」『映画芸術』1968年5月号 No248、編集プロダクション映芸、78頁。 “'69のホープたち 映画巻き返しの"先兵" 各社『大作』で売り出す”. 東京タイムズ (東京タイムズ社): p. 10. (1969年1月26日) 「SCREEN ピンク映画のタイトル盗用問題」『週刊朝日』1968年6月14日号、朝日新聞社、129頁。 「スクリーン・ステージ 『TVにオンブする新人売出しウバザクラと借りものは返上』」『週刊サンケイ』1967年11月13日号、産業経済新聞社、114頁。 「un-call お呼びじゃない」『週刊文春』1967年11月6日号、文藝春秋、14頁。 「3月の映画コーナー 『尼寺㊙物語』〈東映〉」『月刊明星』1968年4月号、集英社、218頁。 「これが男の映画だ!! 中島貞夫の世界 中島貞夫ロングインタビュー 文・鈴木義昭」『映画秘宝』2009年9月号、洋泉社、60頁。 「特集 女優の座をけった二人の女 小川知子 中村晃子」『週刊平凡』1968年1月25日号、平凡出版、96-97頁。 
  18. ^ 新文芸坐石井輝男 映画チラシ
  19. ^ 悪趣味邦画劇場 1995, pp. 276–280.
  20. ^ 「今月の映画」『映画情報』第34巻第8号、国際情報社、1969年8月1日、54 - 55頁、NDLJP:10339822/54 
  21. ^ 「内外映画封切興信録 『温泉ポン引女中』」『映画時報』1969年8月号、映画時報社、39頁。 「芸能フラッシュ ピンク路線よサヨウナラ残酷路線よコンニチワ」『アサヒ芸能』1969年6月26日号、徳間書店、119-121頁。 
  22. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 高木教典・初山有恒「自壊の中の日本映画・その2『腐敗映画を生む経済機構―五社"転落"の過程』 /その3 『エロとヤクザと観客 ―東映独走のかげに』」『朝日ジャーナル』1969年3月30日号、朝日新聞社、17-21、23-26頁。 
  23. ^ a b c 「宣伝マンが悩む"高尚な題名"」『週刊平凡』1969年3月20日号、平凡出版、55頁。 
  24. ^ 「ピンク色に染まる"ヤクザ東映"」『サンデー毎日』1969年1月5日号、毎日新聞社、45頁。 東映株式会社映像事業部『東映映画三十年 あの日、あの時、あの映画』東映、1981年、125頁。 
  25. ^ a b ピンキー・バイオレンス 1999, pp. 36–37.
  26. ^ 暴力とセックスはあたりまえ!ヤクザ、スケバン、ハレンチ!「東映不良性感度映画」を特集-映画秘宝
  27. ^ アウトロー女優 2017, p. 136.
  28. ^ 鹿島茂『甦る昭和脇役名画館』講談社、2005年、217頁。ISBN 4062131374 
  29. ^ a b c “魚眼レンズ 生きるか批判声明文 新しい政策の示唆に…”. 内外タイムス (内外タイムス社): p. 3. (1969年4月19日) 
  30. ^ a b c d e f g “すみっこ”. 内外タイムス (内外タイムス社): pp. 3. (1969年3月4日) “セーラー服と下で…妊娠・中絶の大特売”. 内外タイムス (内外タイムス社): p. 5. (1969年7月10日) 
  31. ^ 映連データベース日本映画情報システム
  32. ^ 後藤進(東宝取締役)・高橋勇(東映常務取締役)・壷田重三(日活常務取締役)・司会北浦馨「日本映画界は新転換の秋(とき) スケールの大きな鮮烈な大作が勝負の芯だ」『映画時報』1969年7月号、映画時報社、22-23頁。 
  33. ^ 佐藤重臣「エロを国家が保護しはじめたのか ハレンチ化を一手に背負う東映映画に流れるものは?」『キネマ旬報』1969年7月上旬号、キネマ旬報社、42-44頁。 “ウラ話うら話 東映助監督と会社側 "エログロ"めぐり内紛”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社): p. 15. (1969年4月24日) 
  34. ^ 「さらば! 我らが天才監督 石井輝男の世界 京都撮影所助監督声明事件の真相」『映画秘宝』2005年11月号、洋泉社、42-43頁。 
  35. ^ a b c d “広告”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社): pp. 15. (1969年3月28日) 
  36. ^ “三―五月番組”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 4. (1969年2月1日) 
  37. ^ a b 「芸能ゴシップ 私生活をスクリーンで」『週刊平凡』1969年3月6日号、平凡出版、117頁。 
  38. ^ a b c d e f “橘ますみ 賀川雪絵 白い肌のうめき 女子大生妊娠中絶(東映) 美しく、激しく秘めやかに…”. 内外タイムス (内外タイムス社): p. 3. (1969年2月26日) 
  39. ^ a b c “ヤジ・ナル 記者メモ 『迫力あるレス・ラブ』”. 内外タイムス (内外タイムス社): p. 3. (1969年3月5日) 
  40. ^ a b “メージャーも積極的になった ピンク映画四つ相撲 その上映方法に一つのプランを/一般成指上映興行の一考察”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1968年7月6日) 
  41. ^ 出没!アド街ック天国 バックナンバー 2019年2月16日(土)放送 昭和の池袋シネマトーク「愛しの新世界東映」/古書 みつづみ書房マイスターvol.18 映画マイスター:映画『探偵はBARにいる. 監督の作品にかける思いや撮影エピソードについて. 橋本一監督インタビュー新世界東映 (大阪府大阪市恵美須東 映画館 / 映画館) - グルコミ54年前の「丸の内東映」...
  42. ^ “69年十大ニュース 俗悪ポスターへの風当り(3月4日)”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1969年12月20日) 
  43. ^ a b 「日活"マネマネ路線"に屈した本家東映」『週刊読売』1969年7月25日号、読売新聞社、31頁。 
  44. ^ a b 「映画界東西南北談議 業界の上昇ムードの材料が豊富 相変わらずスタープロ作品の話題中心」『映画時報』1969年7月号、映画時報社、32–34頁。 
  45. ^ 「"貧すれば…"か、日活ヤクザ、ピンクに転向」『週刊朝日』1969年7月4日号、朝日新聞社、113頁。 
  46. ^ 「清川虹子が助っ人東映やくざ路線」『週刊文春』1969年8月11日号、文藝春秋、20頁。 

参考文献

外部リンク