黒沢富次郎黒沢 富次郎(くろさわ とみじろう、1891年(明治24年)4月16日[1] - 1972年(昭和47年)[2]8月29日[3])は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。衆議院議員、貴族院多額納税者議員。 経歴・人物長野県南佐久郡穂積村(現・佐久穂町大字穂積)の醤油製造業・黒沢陸之助(通称:丸ト)の長男として生まれる[2][4]。野沢中学校(現・長野県野沢北高等学校)を卒業後、家業の醤油醸造業を継ぐ[2]。地元の商工会長、消防組頭を経て、佐久製材社長や長野県消防協会長[2]、佐久通運社長、長野電鉄監査役、同取締役を歴任した[1]。 1946年(昭和21年)12月16日[5]より1年間貴族院議員を務め、貴族院廃止後の1947年(昭和22年)の第23回衆議院議員総選挙に長野県第2区から日本自由党公認で出馬したが落選した[6]。1949年(昭和24年)の第24回衆議院議員総選挙では民主自由党公認で立候補し、衆議院議員となった[2][6]。1952年(昭和27年)の第25回衆議院議員総選挙で落選した[6]。 親族脚注参考文献
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