黒崎延次郎黒崎 延次郎(くろさき のぶじろう、1877年(明治10年)1月1日[1] – 1967年(昭和42年)3月31日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 経歴現在の栃木県塩谷郡高根沢町で黒崎邦三郎の子として生まれる。1897年(明治30年)に陸軍士官学校を卒業し、翌年に砲兵少尉に任じられた[2]。さらに1908年(明治41年)に東京帝国大学工科大学電気科を卒業した[3]。大阪砲兵工廠技術課長、陸軍技術本部総務部長、大阪砲兵工廠弾丸製造所長、陸軍技術本部第一部長を歴任した[2]。1927年(昭和2年)、陸軍中将に昇進し、翌年には陸軍科学研究所所長に就任した[2]。1932年(昭和7年)、予備役に編入された[2]。 その後、奉天造兵所株式会社代表取締役、満洲計器股份有限公司監査人、奉天商工会議所特別議員を務めた[2]。 栄典
脚注
参考文献
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