鷺 (鴻型水雷艇)

艦歴
計画 昭和9年度計画(②計画[1]
起工 1936年5月20日[1]
進水 1937年1月30日[1]
就役 1937年7月31日竣工[1]
その後 1944年11月8日雷撃により沈没[1]
除籍 1945年1月10日[1]
要目(竣工時)
排水量 基準:840英トン
公試:960トン
全長 88.50m
全幅 8.18m
吃水 2.76m
機関 ロ号艦本式缶2基
艦本式タービン2基
2軸、19,000馬力
速力 30.5ノット
航続距離 14ノットで4,000海里
燃料 重油:245トン
乗員 129名
兵装 45口径十一年式12cm単装砲3門
53cm3連装魚雷発射管1基3門
(六年式魚雷3本)
40mm機銃1挺(雉、鷺、鳩は毘式)
(雁は25mm機銃1挺)

(さぎ)は、日本海軍水雷艇鴻型の7番艇。艦艇名としては隼型水雷艇」に続いて2代目。

艇歴

1935年(昭和10年)11月22日、と命名され[2]、水雷艇に類別[3]1936年(昭和11年)5月20日に播磨造船所で起工。1937年(昭和12年)1月30日進水。同年7月31日に竣工し、呉鎮守府籍、第11水雷隊に編入された[4]

日中戦争では、揚子江遡行作戦、華北及び華南沿岸作戦に従事[1]1938年(昭和13年)9月8日(7日[5])、武穴下流で触雷し損傷を受けた[6]

1941年7月25日、軽巡洋艦2隻と水雷艇「鷺」、「」で第五艦隊が編成された[7]

太平洋戦争開戦後、北方哨戒活動、海上護衛作戦に参加[1]。1941年12月17日に小笠原方面の対潜作戦強化のため厚岸を出発し、12月26日に父島に進出した[8]。1942年1月8日、横須賀に帰着[9]。1月26日、厚岸に進出[9]。2月1日、アメリカ軍がマーシャル諸島を空襲。それを受けて同日「鷺」や軽巡洋艦2隻などは厚岸を出撃し哨戒線についた[10]。2月8日、「鷺」は横須賀に帰着[10]。3月11日から13日は釧路へ帰投する第三哨戒隊[11]の誘導を行い、3月24日から3月27日は駆逐艦「沖風」とともに対潜作戦に従事した[12]。4月10日、「鷺」は第五艦隊から除かれ第一海上護衛隊に編入された[13]

1943年(昭和18年)8月31日、南シナ海で米潜水艦の雷撃を受け損傷[1]1944年(昭和19年)11月8日、高雄からマニラへ航行中、比島ボナリオ岬西南西で米潜水艦「ガンネル」の雷撃により沈没[1]1945年(昭和20年)1月10日に除籍。

歴代艇長

艤装員長
  • 本倉正義 少佐:1937年4月10日[14] -
水雷艇長
  • 本倉正義 少佐:1937年7月31日[15] - 1938年8月23日[16]
  • 菅原六郎 少佐:1938年8月23日[16] - 1938年12月15日[17]
  • (兼)山口達也 少佐:1938年12月15日[17] - 1939年1月10日[18]
  • 井上規矩 少佐:1939年1月10日[18] - 1939年3月6日[19]
  • 柳瀬善雄 大尉:1939年3月6日[19] - 1940年10月15日[20]
  • 松本正平 大尉:1940年10月15日[21] -

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j 『日本海軍史』第7巻、459頁。
  2. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940) 390頁。◎「水雷艇雁鷺鳩命名ノ件」昭和十年十一月二十二日(達一四〇) 艦艇製造費ヲ以テ昭和十年度ニ於テ建造ニ着手ノ水雷艇三隻ニ左ノ通命名ス |〔中略〕三井物産株式會社造船部玉工場ニ於テ製造 | 水雷艇 鷺 サギ〔後略〕。
  3. ^ #海軍制度沿革(巻8、1940) 99頁。◎昭和十年十一月二十二日(内令四七四) 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス | 航空母艦ノ項中「蒼龍」ノ下ニ「、飛龍」ヲ加ヘ、水雷艇ノ部鴻型ノ項中「雉」ノ下ニ「、雁、鷺、鳩」ヲ加フ。
  4. ^ 『ハンディ判 日本海軍艦艇写真集21巻』122頁。
  5. ^ 『中国方面海軍作戦<2>昭和十三年四月以降』41ページ
  6. ^ 『写真日本海軍全艦艇史』資料篇「主要艦艇艦歴表」28頁。
  7. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、40ページ
  8. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、71、73ページ
  9. ^ a b 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、78ページ
  10. ^ a b 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、109ページ
  11. ^ 日本本土東方沖で哨戒に従事する漁船改造の監視艇を中心とする部隊の一つ
  12. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、131、133ページ
  13. ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、137ページ
  14. ^ 『官報』第3080号、昭和12年4月12日。
  15. ^ 海軍辞令公報 号外 第15号 昭和12年7月31日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072100 
  16. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)号外 第229号 昭和13年8月24日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074200 
  17. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)号外 第273号 昭和13年12月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074800 
  18. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第285号 昭和14年1月11日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072075300 
  19. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第310号 昭和14年3月7日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072075500 
  20. ^ 海軍辞令公報(部内限)第543号 昭和15年10月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079000 
  21. ^ 海軍辞令公報(部内限)第543号 昭和15年10月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079100 

参考文献