鴨緑江軍(おうりょくこうぐん)は、大日本帝国陸軍の軍の一つ。
沿革
日露戦争に伴い、韓国駐箚軍(司令官:長谷川好道 大将)の隷下として[1]、1905年(明治38年)1月に編成された。
鴨緑江軍は、満洲軍(麾下に第1軍・第2軍・第3軍・第4軍)と共同作戦を行い、奉天会戦に参加した[1]。奉天会戦において、ロシア軍は満洲軍麾下の4つの軍と別行動を執る鴨緑江軍を主力と誤認する錯誤を犯した[1]。
1906年(明治39年)1月20日に復員した。
軍概要
司令部構成
- 司令官 川村景明 大将:1905年1月15日 - 1906年1月26日
- 参謀長 内山小二郎 少将:1905年1月14日 - 1906年1月30日
- 砲兵部長 鋳方徳蔵 大佐
- 工兵部長 太田正徳 大佐
- 参謀副長 鋳方徳蔵 大佐:1905年1月13日 - 1906年1月
- 参謀
- 経理部長 加藤
- 軍医部長 横井俊蔵 軍医監
兵站部
- 兵站監 古谷安民 大佐:1905年1月14日 – 1906年1月20日
- 参謀長 藤井幸槌 中佐:1905年1月15日 – 1906年1月
最終時隷下部隊
- 第11師団:鮫島重雄 中将
- 後備第1師団:阪井重季 中将
- 後備歩兵第9旅団:比志島義輝 少将
- 後備歩兵第7連隊(金沢)
- 後備歩兵第19連隊(敦賀)
- 後備歩兵第36連隊:橋本秀則 中佐
- 後備歩兵第6旅団:草場彦輔 大佐
- 後備歩兵第13連隊:鈴木常武 中佐
- 後備歩兵第23連隊:面高俊一 中佐
- 後備歩兵第48連隊
- 後備第1師団騎兵隊
- 後備第1師団野戦砲兵連隊
- 後備第1師団徒歩砲兵隊
- 後備第1師団工兵大隊
- 後備第1師団衛生隊
- 後備第1師団野戦病院
- 後備第1師団弾薬大隊
- 後備第1師団輜重兵大隊
- 後備歩兵第16旅団(弘前):丸井政亜 少将
- 後備歩兵第58連隊:渡敬行 中佐
- 後備歩兵第53連隊
- 鴨緑江軍野戦電信隊
- 徒歩砲兵第1独立大隊
- 後備歩兵第59連隊:生井順造 中佐
関連項目
脚注
注釈
出典
- ^ a b c 半藤 2013, 位置No. 1420/1474, 第四章 日露の戦いのなかで-長谷川好道 野戦の武人
参考文献