高橋忠治 (海軍軍人)高橋 忠治(たかはし ちゅうじ、1885年(明治18年)10月16日[1] - 1964年(昭和39年)1月24日[2])は、日本の海軍軍人、山口市長。最終階級は海軍大佐。 人物山口県吉敷郡大内村(現在の山口市)出身[1]。高木権次郎の二男として生まれ、高橋千代造の養子となった[3]。1907年(明治40年)、海軍兵学校を卒業[1]。1908年(昭和41年)、海軍少尉に任官し、1929年(昭和4年)に海軍大佐となった[1]。その間、舞鶴鎮守府副官、大湊要港部副官、海軍軍令部員、菱艦長、海軍水雷学校教官、磐手副長、第7駆逐隊司令、第1駆逐隊司令、第29駆逐隊司令を歴任した[3]。1931年(昭和6年)、予備役[1]。 在郷軍人会山口連合分会副会長を経て、1935年(昭和10年)に山口市長に選出された[1]。市長は1944年(昭和19年)まで務めた。 1946年(昭和21年)から仁壁神社宮司を務めた[3]。戦後、「翼賛市支部長」のため公職追放となった[4]。 脚注参考資料
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