馬政第二次計画この項目では、日本の馬の品種改良を目的に1936年から1945年にかけて農林省馬政局が実施した馬政第二次計画(ばせいだいにじけいかく)について記述する。 概要1906年実施された馬政第一次計画が計画通り1936年3月をもって終了したことを受け、同計画を踏襲する馬政第二次計画が同年4月1日より実施に移された。計画の期間は30年であったが、日本が太平洋戦争で敗れたことに伴い1945年に終了した。 計画の特徴馬政第二次計画では馬政第一次計画を踏襲し、国防上有能な馬匹を充実させ、馬産を保護しつつ、以下の点で第一次計画を深化させることが計画された。
第一期計画当初の計画1936年度から1945年度までの10年間が第一期とされた。第一期計画の概要は以下の通り。
戦争の激化に伴う計画の変更日中戦争開戦後は多くの軍馬が戦場に送られ、それに伴い国内の馬資源は減少した。これを受けて日本陸軍は1938年8月、農林省に対し馬政に関する以下の要望を提示した。
さらに翌9月には馬政第二次計画に改定を加える内容の「内地馬政計画及び実施要領」が策定された。同要領は充実を図るべき馬匹が従来の乗馬・挽馬から戦場において必要とされる乗馬・挽馬・戦列駄馬へと変更し、生産能力の向上と同時に生産後の馬匹の資質向上を提唱するなど、戦時色の濃いものであった。 成果
計画に伴う動き馬政第二次計画の実施と並行して、1936年5月29日に旧競馬法が改正され、公正な競馬の確保のために11の競馬倶楽部が統合され日本競馬会が発足した。さらに同年7月、1923年に廃止された馬政局が馬政局官制(勅令第165号)に基づき農林省の外局として復活した。 また、日本の統治下にあった朝鮮、台湾、樺太における馬産と内地の馬産との総合的な馬政を執り行い、それらを満州国の馬産と協調させることが視野に入れられた。 関連項目参考文献
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