首 (姓)首(おびと)は、ヤマト政権のもとで行われた姓(かばね)の一つ。 概要首長の尊称である「大人」(おおひと)に由来するものだという。
とあるのは、尊称によるものである。また、同じ『書紀』第十三で、允恭天皇の皇后、忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)に対して過去に闘鶏国造(つげ の くに の みやつこ)が無礼を働いた際に、皇后が「首や、余(あれ)、忘れじ」と口にしたのは、「お前」という意味であったらしい[2]。 氏姓制度の中では下級の称号であったらしい。パターンとしては3種類あり、
吉田晶の『出雲国大税賑給歴名帳』の研究によると、出雲郡には1.のパターンが見られ、5世紀以前には、臣 - 首 - 部のヒエラルヒーが成立していたことが窺われる[3]。 『日本書紀』によれば天武天皇 13年 (684年)の八色の姓 (やくさのかばね) により、「首」姓の一部は忌寸 (いみき) を賜姓されている[4]が、多くは旧姓のままであった。その後、奈良時代にも首姓が与えられているが、孝謙天皇の天平勝宝9歳5月 (757年) 、聖武天皇の諱 (いみな) 「首」と藤原不比等の名前を姓名に使用することを禁じたため、「史」姓とともに「毗登 (ひと) 」姓に改められた。その後、称徳天皇崩御後の770年に「首」と「史」の氏族の区別がつかなくなったという理由で、元に戻されている[5]。 脚注参考文献
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