飯田宗孝飯田 宗孝(いいだ むねたか、1957年10月22日 - 2022年5月7日)は、日本のバレエダンサー、バレエ指導者である[1]。1980年にチャイコフスキー記念東京バレエ団に入団し、主力ダンサーの1人となってクラシックからコンテンポラリーに至る幅広いレパートリーを踊った[2][3]。彼が初演者となった『ザ・カブキ』の「定九郎」は、振付家モーリス・ベジャールがそのキャラクターに触発されて創造したものであった[2][3]。バレエ・マスターとして後進の指導にも携わり、2004年から東京バレエ団の芸術監督に就任している[2][3]。 経歴16歳のときからショービジネスの世界に入り、クラブやホテルで舞台に出演していた[1]。クラシックバレエの道に進んだのは、23歳のときであった[1]。1980年、チャイコフスキー記念東京バレエ団に入団し、クラシックからコンテンポラリーに至る幅広いレパートリーでさまざまな役柄を踊り演じた[2]。 1983年、飯田にとって決定的な転機が訪れた[1]。この年の秋、ベジャール振付の『さすらう若者の歌』(グスタフ・マーラー音楽)を溝下司朗とともに踊って好評を得た[2][3][4][5][6]。本来飯田は、この作品ではアンダースタディであった[1]。リハーサル時にベジャールは直接飯田の踊りを見て、正式なキャストに登用した[1]。 1986年に初演されたベジャール振付『ザ・カブキ』(黛敏郎音楽)では、「定九郎」と「師直」を踊り演じた[2][3]。とりわけ定九郎については、ベジャールが飯田のキャラクターに触発されて創造したものであった[2][3]。その後もベジャールは飯田を重用し、飯田自身も「ベジャールの作品は表現力がないとおもしろくない。自分に合っている」とかつて発言していた[1][7]。1993年に東京バレエ団が海外公演で上演した『M』では、「シ(死)』役に剃髪して挑み、その存在感と表現力を称賛された[2][8]。1999年に東京バレエ団初演となった『くるみ割り人形』(ベジャール版)では、オリジナルのベジャール版で第1幕終わりの雪のシーンで登場した「アコーディオン弾き」の代わりに、降りつのる雪の中を橇に乗って登場し、さまざまなマジックを披露する「マジック・キューピー」役を演じた[2][3][9][10]。 その他のレパートリーでは、1984年の『プレイ・バッハ』(ヨハン・ゼバスティアン・バッハ/ジャック・ルーシェ音楽、クロード・ベッシー振付)で主役に抜擢され、ベッシー自身から称賛を受けた[2][11]。1994年にイリ・キリアン振付で東京バレエ団が世界初演した『パーフェクト・コンセプション』(ヨハン・ゼバスティアン・バッハ、ジョン・ケージ、レスリー・スタック音楽)では、キリアンとのコラボレーションを通じて作品の表現に深みと繊細さを現出させた[2][12]。他にも『白鳥の湖』の道化、『眠れる森の美女』の猫、『タムタム』(フェリックス・ブラスカ振付)のソロなどで個性を発揮し、『ラ・シルフィード』(ピエール・ラコット版)の魔女マッジや『ドン・キホーテ』のサンチョ・パンサのようなキャラクテール的な役柄でも活躍した[2][3]。 東京バレエ団では、バレエ・マスターとして後進の指導にも携わった[2][3]。2004年秋に前任の溝下の仕事を引き継ぎ、東京バレエ団の芸術監督に就任した[2][3]。2007年11月のベジャールの死去時には、日本から佐々木忠次(東京バレエ団及び日本舞台芸術振興会創設者)とともにローザンヌへ出向き、最期の別れに立ち会っている[7]。 脚注
参考文献
外部リンク
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