須崎勝彌
須崎 勝彌 (すさき かつや、1922年1月1日[1] - 2015年1月9日)は、日本の脚本家・小説家。日本統治時代の朝鮮京城府生まれ。鹿児島県出身[1]。別名義に須崎 勝弥[1]。 経歴父が三菱鉱業に勤め、京城支社にいる頃に生まれる。1941年(昭和16年)、両親が相次いで亡くなったため郷里の鹿児島県串木野市に帰る。1943年(昭和18年)に東北大学法学部を卒業[1]。在学中に学徒出陣で出水海軍航空隊に少尉で任官。沖縄戦線に出撃するなどをして茨城県百里海軍航空隊で終戦を迎えた。 1947年(昭和22年)に新東宝へ助監督として入社[1]。1952年(昭和27年)の『明日は日曜日』(大映)が脚本家デビュー作であった。1953年(昭和28年)に新東宝を退社し、大映東京撮影所と脚本契約[1]。1955年(昭和30年)に東宝に入社[1]。東宝では、戦記映画を多く手掛けた[1]。1969年(昭和44年)にフリーとなる。 日本シナリオ作家協会のシナリオ功労賞(第16回)を受賞[2]。 2015年(平成27年)1月9日、慢性腎不全のため死去[3]。93歳没。 脚本映画
テレビ番組テレビドラマテレビ映画
著書
参考文献
脚注
外部リンク
|