青木智仁
青木 智仁(あおき ともひと、Aoki Tomohito、1957年6月12日 - 2006年6月12日)は、日本のベーシスト。神奈川県藤沢市出身。血液型O型。 来歴14歳でギター、16歳でベースを手にする。美術学校在学中の19歳の時にYAMAHAベイエリアスペシャルコンテストでベストベーシスト賞を受賞。その後プロとして活動を始める。様々なアーティストのサポート、またスタジオミュージシャンとして多くのレコーディングに参加。 角松敏生のプロジェクトでは、1982年からツアーとほとんどのアルバムに参加。1993年から5年間、渡辺貞夫グループに参加。全米、カナダ、東南アジア、ブラジルなどのツアーに同行。本田雅人バンドのベーシスト。 1989年7月5日、1作目のアルバム『DOUBLE FACE』(BMGビクター)を発表。2000年に11年振り2作目のアルバム『EXPERIENCE』(ビクターエンタテインメント)をリリース。その年の『ADLIB』誌のベストフュージョンアルバムに選ばれる。その『ADLIB』誌の人気投票においては2005年度に1位(ベーシスト部門)を獲得。 2001年には青木の呼び掛けで本田雅人、塩谷哲、沼澤尚とフォー・オブ・ア・カインド結成。グループ名のアルバムをリリース。2006年までに2枚のオリジナル・アルバムをリリースしている。 2006年5月23日に東京都目黒区のブルース・アレイ・ジャパンにて新生・青木バンドのライブを行うなど、亡くなる直前まで積極的にアーティスト活動を行い、トップ・ミュージシャンとして様々なアーティストに声を掛けられてきた。 2006年6月12日、急性心不全のため死去。この日は49歳の誕生日だった。 亡くなって12日後の同年6月24日に横浜アリーナで行われた盟友・角松敏生のデビュー25周年ライブでは、レコーディング・過去ライブの青木の演奏を使用、メンバー紹介も角松より『He's on bass Aoki Tomohito』と紹介された。 角松は、青木の死去により『LEGACY OF YOU』以来計画していた自身のInstrumentalアルバム第3弾の制作を封印する事にしたと雑誌『ADLIB』の青木智仁追悼企画でのインタビューで語っている。 人物謙虚で人柄が良くひょうきんでもあり、言葉遣いも丁寧で、かつ演奏に対して手を抜かず低音でミュージシャン達を支え続け、ベーシストとしてだけでなく人格者としても多くのミュージシャンから慕われていた。 愛器はATELIER Z製のシグネイチャー・モデル、M#245(4弦)・M#265(5弦)ハートキー・ベースアンプ。 植木等およびハナ肇とクレージーキャッツの大ファンであり、角松によるとクレージーの貴重映像などを集める熱心な収集家だったという[1]。また、角松のライブでは定番となっていたアンコールでの「GIRL IN THE BOX」でのコスプレで、植木の十八番だったチョビヒゲにステテコ姿でステージに上がったこともあった。 ディスコグラフィーアルバムソロ・アルバム
ライブ・レコーディング参加作品
脚注関連項目外部リンク
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