青山幸督
青山 幸督(あおやま よしまさ)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。摂津国尼崎藩の第3代藩主。官位は従五位下・播磨守。幸成系青山家3代。 略歴寛文5年(1665年)、青山幸実(第2代藩主・青山幸利の長男)の長男として誕生した。父・幸実は病弱だったため、祖父・幸利によって廃嫡され、幸督が祖父の世継となった。貞享元年(1684年)9月29日、祖父の死去により家督を継いだ。貞享3年(1686年)11月27日に奏者番に任じられ、元禄12年(1699年)10月13日に寺社奉行を兼帯する。 元禄15年(1702年)6月5日、寺社奉行は御役御免。奏者番は留任。奏者番在職中の宝永7年(1710年)8月18日、尼崎で病死した。享年46。 長男の幸秀が家督を継いだ。同年8月21日、弟の幸澄に新田2000石が分与となる。 『土芥寇讎記』第二十四集に青山幸明名義で記載がある。血気盛んで哀憐無し、など祖父の幸利とも比較されつつあまりよい評価はされていない。 系譜父母 正室
側室
子女 出典青山幸督を演じた俳優映画・テレビドラマ関連項目 |