阿部正教
阿部 正教(あべ まさのり)は、江戸時代後期の大名。備後国福山藩阿部家の第8代藩主。官位は従五位下・伊予守。阿部家宗家12代。 生涯父・正寧は正教の生まれる前に弟(正教の叔父)の正弘に家督を譲っていたため、正教は安政4年(1857年)に正弘の養子となる。同年、正弘の死去により19歳で家督を継いだ。しかし4年後の文久元年(1861年)、23歳で早逝した。子はおらず、跡は弟の正方が継いだ。 藩主在任中に国内は日米修好通商条約調印、安政の大獄、桜田門外の変、日米和親条約締結と激動の時代であったが、正教がそれらに関与することはなく、国元の福山藩も特に大きな事件は起きていない。 墓地は西福寺(台東区浅草)、のち谷中墓地(台東区谷中)に改葬。諡は恭德院殿温誉了法性。 系譜外部リンク
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