阿豆佐味天神社
阿豆佐味天神社(あづさみてんじんじゃ[1])は、東京都西多摩郡瑞穂町にある神社。式内社で、旧社格は郷社。 他の阿豆佐味天神社の総本宮である。瑞穂町と武蔵村山市のほぼ境界上の狭山丘陵南麓部に位置する古社で、『延喜式神名帳』には武蔵国多摩郡八座[注釈 1]の一座に数えられている。 祭神現在の祭神は次の3柱[1]。 歴史社伝によれば、寛平4年(892年)桓武平氏の祖・高望王が創建したという[1]。 村山郷の総鎮守で、武蔵七党の一、村山党(高望王の子孫で秩父平氏の流れを汲む)の氏神として崇敬を受けた。阿豆佐味という社名については、梓弓によるという説、楸(きささげ、古名あずさ)によるという説、湧水(阿豆=甘い、佐=味の接頭語、味=水で、甘い水の意)によるという説など諸説ある。 天正12年(1584年)、慶長3年(1598年)の修復を経て、享保年間(1716年-1736年)村山土佐守により社殿の修復が行われ、その後も後北条氏が社領15貫文、徳川幕府が朱印地12石を寄進するなど、歴代領主から厚く遇されている。明治6年(1873年)郷社に列格した。因みに殿ヶ谷の地名は、村山党の居館があったことに由来するという。社頭前には文久3年(1863年)の社号標がある。 また、立川市砂川町に鎮座する阿豆佐味天神社は、1629年(寛永6年)のちに砂川村となる地域の開拓に伴い、その鎮守として勧請し、1738年(元文3年)に本殿が造営された[2][3]。砂川の新田開発を行った岸村(現在の武蔵村山市岸)の村野氏(後の砂川氏)は村山党の後裔を称する。また、小平市小川町の小平神明宮[4]、同市仲町の熊野宮[5]は、同じく小川新田の開発を行った岸村の小川氏と、当社の社家、宮崎氏が、岸村に鎮座していた当社の摂社、神明社と熊野宮を勧請したものである。 摂末社
例大祭交通
脚注注釈 出典
参考文献
関連文献外部リンク
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