小平神明宮 (こだいらしんめいぐう)は、東京都小平市小川町一丁目にある神社。地域の開拓願いから、村の名手・入村農民によって開拓され、社殿を造営し村の総氏神とした。別名を「神明さま」と呼ばれている。
祭神
- 主祭神
- 相殿神
- 大山祇神(おおやまつみのかみ)
- 軻遇土神(かぐつちのかみ)
- 菅原道真(すがわらみちざね)
- 境内社
歴史
創建
明暦2年(1656年)、村の名主である小川九郎兵衛が、水利に乏しく生活に過酷な不住の土地であった当地の開拓を志した。小川村の開拓願いと同時に、村に移り住む人々の守護神をとの願いから、五千坪の土地を社地として、神明宮勧請の願いが出された。荒地の開墾は難航したが、小川村の開拓事業は順調に進んだ。5年後の寛文元年(1661年)に、西多摩郡の殿ヶ谷村(現・瑞穂町)鎮座の延喜内社(平安時代以前からの古社)、阿豆佐味天神社(あずさみのあまつかみのやしろ)の摂社、神明ヶ谷の神明社から分祠遷座された[2][3]
小川村
- 小川村は、郡の良にあり、村山郷に属せり。この村近き頃は野方領とも唱ふれとも、其實は前後の村と同じく山田領に係れり。東はこの村の新田に境ひ、南は南野中榎本戸に村の新田に接し、西は砂川芋窪高木の村々により、北は野口村に至れり、其間西方砂川村より(中略)小川九郎兵衛といへる人にて、郡内岸村に居りしよし。明暦年中、御代官今井九右衛門支配せしおり、武蔵野の内字石塔ヶ窪と號する所、開発せしことを訴たへ、御ゆるしを得て、遂に其功なりぬ(中略)。
— 『新編武蔵風土記稿 四十』多摩郡の三十二 「小川村」 内務省地理局 明治17年4月16日 抜粋
神明社
- 除地一町六段六廿歩、村内の鎮守なり。本社六尺四方、南向拝殿二間半に、五間鎮座の初を詳にせす。神髄白幣、例祭九月十九日、神主は郡内殿ヶ谷村阿豆佐美天神の神主宮崎某配下、宮崎加賀といへり。
— 『新編武蔵風土記稿 四十』多摩郡の三十二 「小川村」 内務省地理局 明治17年4月16日 抜粋
明治・大正
- 明治6年(1873年) - 村社に列格。
- 明治17年(1884年) - 郷社に列格。
- 明治42年(1909年) - 天神社を合祀。
昭和以降
- 昭和39年(1964年) - 境内に小平神明幼稚園を創立。
- 平成12年(2000年) - 鎮座340年を記念し大御神輿を奉納。
境内
- 鳥居
- 社殿
- 境内社西殿
- 境内社東殿
- 境内社水波能売神・御井神
- 小平神明幼稚園
年中行事
- 1月 - 平安祭、元旦祭、どんど焼
- 2月 - 節分追儺祭、祈年祭
- 4月 - 八雲祭(宵宮祭)、八雲祭(神幸祭)
- 6月 - 夏越しの大祓、茅の輪廻り
- 7月 - 七夕まつり、大祓形代流し
- 9月 - 神明宮例大祭奉祝行事、例大祭
- 11月 - 七五三詣、新嘗祭・初穂会
- 12月 - 星祭、年越しの大祓(形代神事、茅の輪廻り)、除夜祭[4]
交通
- 鉄道
- 路線バス
- 駐車場
ギャラリー
参考文献
- 『新編武蔵風土記稿 四十』多摩郡の三十二 「小川村」 内務省地理局、明治17年4月16日、2017年8月25日閲覧。
- 『北多摩神社誌』「小平神明宮の由緒」2017年9月2日閲覧。
脚注
- ^ 『小平神明宮』「小平神明宮の神様」小平神明宮社務所、2017年9月1日閲覧。
- ^ 『小平神明宮』「小平神明宮鎮座の由緒」小平神明宮社務所、2017年9月1日閲覧。
- ^ 『新編武蔵風土記稿 四十』多摩郡の三十二 「小川村」 内務省地理局 明治17年4月16日、2017年8月25日閲覧。
- ^ 『小平神明宮』「祭典・神事の紹介」小平神明宮社務所、2017年9月1日閲覧。
関連項目
外部リンク