阿藤伯海阿藤 伯海(あとう はくみ、1894年(明治27年)2月17日 - 1965年(昭和40年)4月4日)は、日本の中国文学者、漢詩人。本名は簡。 人物1894年(明治27年)2月17日、岡山県浅口郡六条院村相部(現・浅口市鴨方町六条院東)に生まれる。旧制矢掛中学校(現・岡山県立矢掛高等学校)、第一高等学校、東京帝国大学を卒業し、京都帝国大学大学院で狩野直喜に師事する。その後、法政大学、第一高等学校で教授を務める。1949年(昭和24年)に岡山大学の創設に尽くすが、教授には就かず詩作、読書にふける。1965年(昭和40年)4月4日に死去、71歳[1]。弟子の高木友之助[2]等により、漢詩集『大簡詩草』が編・刊行された。 2006年1月に、浅口市鴨方町に阿藤伯海を顕彰する記念公園が開園された[3]。生家を修復した「阿藤伯海旧居」を中心に、吉備真備を顕彰した絶筆の詩碑等を有する「記念広場」、遙照山系を望む梅園「流芳の丘」が整備されている。 著書
関連文献
出典脚注
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