門脇章太郎
門脇 章太郎(かどわき しょうたろう、1901年〈明治34年〉3月30日[1] - 1971年〈昭和46年[2]〉)は、日本の実業家、政治家、宗教家。 経歴鳥取県西伯郡所子村(現:大山町)の豪農の家(門脇家住宅として現存)に生まれる。父・門脇才蔵、母・チヨノの長男。米子中学校を経て、大正13年(1924年)京大修了[3]。 所子村産業組合長、所子村農会長、所子村長を経て米子銀行取締役、鳥取県産業組合連合会理事米子支所長、米子銀行常務取締役を歴任した[3]。1941年(昭和16年)合併により山陰合同銀行取締役に就任した[4]。その後、1946年(昭和21年)に常務取締役となった[5]。1959年(昭和34年)11月6日の株主総会で常務取締役を退任した[6]。 人物像米子中学校では野球部で主将を務めた[7]。 参考文献
脚注
関連項目外部リンク
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