長谷川赳夫

長谷川 赳夫(はせがわ たけお、1886年明治19年)10月3日[1] - 1980年昭和55年)6月25日[2])は、大正から昭和時代戦前の政治家官僚貴族院多額納税者議員錦鶏間祗候[3]

経歴

長谷川市郎左衛門の長男[4]新潟県出身[3][2]。1896年(明治29年)家督を相続し前名の亀一郎を改める[4]。1913年(大正2年)東京帝国大学法科大学を卒業し、同大学院を修学する[2]文官高等試験に合格する[4]

1915年(大正4年)貴族院試補となって以降、衆議院、貴族院、内閣(内閣官房総務課長[4])各書記官、帝都復興院、臨時震災救護事務局各兼任書記官、臨時営繕局事務官、法制局勅任参事官、内閣統計局長などを歴任した[3]。ほか、資源局社会局各参与[3]、新潟県農業会長、国際統計協会正会員などを務めた[2]

1920年(大正9年)万国議院商事会議、1931年(昭和6年)人口問題研究の国際会議、同5年、6年、11年の3回にわたり国際統計協会会議に出席した[2]

1939年(昭和14年)新潟県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日に就任し[5]無所属倶楽部に所属し1947年(昭和22年)5月の貴族院廃止まで在任した[2]

親族

栄典

脚注

  1. ^ 『人事興信録 5版』人事興信所、1918年、は99頁。
  2. ^ a b c d e f 衆議院、参議院 1960, 208頁.
  3. ^ a b c d 貴族院事務局 1947, 228頁.
  4. ^ a b c d e 人事興信所 1928, ハ38頁.
  5. ^ 貴族院事務局 1947, 49頁.
  6. ^ 『人事興信録 第25版 下』人事興信所、1969年、補遺5頁。
  7. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献