長谷寺(ちょうこくじ)は、岐阜県下呂市小坂町大字小坂町(おさかちょう おさかまち)[1]にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号を吉田山と称する。観世音菩薩を本尊とする。益田西国三十三霊場28番札所。
歴史
伝説では行基菩薩が天平年間に開創と伝わる。康永元年(1342年)に源誠が再興したと伝わるが、後に荒廃し、寛永年間(1624年~1644年)に龍澤山禅昌寺7世の香道三興が中興した。寛政10年(1798年)の火災で本尊を除いて焼失した。現在の堂宇は天保11年(1840年)に再建されたものという。
文化財
山門の楼上には寛政10年(1798年)の火災で燃え残った仁王像が祀られているほか、当地に伝わる力持小太郎が修練に用いたという石が残されている。また文化財としていずれも年代不詳の紙本着色仏涅槃図、紙本着色六道図ならびに胎内仏、貞和元年(1345年)の銘のある墓碑、天保11年の懸魚および楼門、天保14年(1843年)の金剛力士像、幕末から明治初頭にかけて制作された絵天井がある。
市指定文化財
- 長谷寺楼門(建造物) - 天保11年(1840年)建築。1980年(昭和55年)1月14日指定[2]。
- 長谷寺楼門の懸魚(彫刻) - 天保11年(1840年)建築。1975年(昭和50年)12月23日指定[2]。
- 長谷寺の金剛力士立像(彫刻) - 天保14年(1843年)建築。1980年(昭和55年)1月14日指定[2]。
- 長谷寺の胎内仏(工芸品) - 年代不詳。1980年(昭和55年)1月14日指定[2]。
- 長谷寺蔵紙本着色仏涅槃図(絵画) - 年代不詳。1980年(昭和55年)1月14日指定[2]。
- 長谷寺蔵紙本着色六道図(絵画) - 年代不詳。1980年(昭和55年)1月14日指定[2]。
- 長谷寺の絵天井(絵画) - 江戸後期~明治初期。1980年(昭和55年)1月14日指定[2]。
- 長谷寺の小坂観音堂記録(古文書) - 元禄11年(1698年)。1980年(昭和55年)1月14日指定[2]。
- 長谷寺の墓碑(史跡) - 貞和元年(1345年)。1977年(昭和52年)1月31日指定[2]。
脚注
参考文献
ウィキメディア・コモンズには、
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- 岐阜県益田郡『岐阜県益田郡誌』1916年、pp.472-473