長者山新羅神社
長者山新羅神社(ちょうじゃさんしんらじんじゃ)は、青森県八戸市の長者山山上にある神社。社格は旧県社。重要無形民俗文化財の八戸三社大祭や八戸のえんぶりで著名であり、八戸市内では櫛引八幡宮と並び篤く崇敬を集める神社である。 祭神
そのほかいくつかの神々を相殿に祀る。 歴史長者山には古くから様々な祭祀が行われていたらしく、八戸藩初代藩主南部直房によって虚空蔵菩薩が勧請され「祇園」と俗称された堂祠を前身とし[1][2]、新羅神社としては延宝6年(1678年)に2代藩主直政が藩家の守護と領内の五穀豊穰と領民の安穏、無病息災を祈念する祈願所として山上に南部氏の遠祖である新羅三郎義光命(源義光)を勧請、「三社堂」または「虚空蔵堂」と号したのに創まる。以後、八戸藩奥南鎭守として歴代藩主から尊崇され、また造営事業等は藩直営で行わる例とされた。元禄7年(1694年)に社殿の改築がなされたが、文政10年(1827年)にも8代藩主信真によって再改築が行われており(現社殿)、この時には桜の馬場を開設して例祭に打毬を奉納するようになった。 明治初期の神仏分離に伴い、明治2年(1869年)に社号を「新羅神社」と改めて郷社に列し、同14年の明治天皇の東北巡幸に際しては行幸があり騎馬打毬が天覧に供された。後に県社へ昇格し、昭和51年(1976年)に現社号である「長者山新羅神社」と改称した。 祭祀2月の「えんぶり」や、8月の例祭と八戸三社大祭等がある。
→詳細は「えんぶり」を参照
→詳細は「八戸三社大祭」を参照
境内社殿現本殿と拝殿は文政9年に着工、翌年に竣工したもので、本殿は桁行3間、梁間2間の入母屋造平入の身舎に3間の向拝(こうはい)を付ける構造、正面扉や組物、向拝の柱廻り等に華麗な彩色文様が施されている。拝殿は桁行5間、梁間3間平入の入母屋造に1間の向拝を付けるが、梁間(奥行き)が3間の拝殿は珍しく、市内では櫛引八幡宮と当神社に見るだけである。本殿、拝殿ともに細部の彫刻等に江戸時代の神社建築の特徴がよく残される事から平成3年(1991年)3月13日に青森県の重宝に指定された[5]。 文化財国指定
青森県指定
参考文献
脚注出典
外部リンク
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