長崎市立大園小学校(ながさきしりつ おおぞのしょうがっこう、Nagasaki City Ozono Elementary School)は、長崎県長崎市滑石[1]六丁目にある公立小学校。
概要
- 歴史
- 滑石地区の人口増加に伴い、1967年(昭和42年)に44番目[2]の長崎市立小学校として開校した。2012年(平成24年)に創立45周年を迎えた。
- 校訓
- 「本気」
- 校歌
- 作詞は大園小学校育友会(PTA)、補筆は島内八郎、作曲は木野普見雄による。歌詞の最後に「大園小学校」が登場する。
- 校区
- 滑石5丁目(1番~4番、9番、21番、22番)、滑石6丁目、大園町(10番~12番、14番を除く)、大宮町(1番1号、1番3号、1番43号~1番45号、1番47号、2番1号、2番2号、2番6号、2番8号~9号)、北栄町(19番5号~28号、20番~27番)
- 中学校区は長崎市立滑石中学校[3]。
沿革
- 1967年(昭和42年)4月1日 - 「長崎市立大園小学校」(現校名)が開校。
- 学区改正により、長崎市立滑石小学校の2~5年生から174名が転入[2]。入学生52名を合わせ、開校時の生徒数は226名。
- 1968年(昭和43年)- 校旗・校歌を制定。
- 1969年(昭和44年)
- 9月27日 - 長崎市と西彼杵郡時津町の間で教育事務委託規約が締結され、滑石団地内横尾地区(当時・時津町)の児童を大園小学校に通学させることになる。
- 経費は時津町が負担し、期限は1971年(昭和46年)3月31日まで。その後規約は1年間更新され、1973年(昭和48年)4月1日に横尾地区は長崎市に編入された。
- 1970年(昭和45年)4月1日 - 長崎市立北陽小学校が分離・新設され、学区改正の上、児童を移す。
- 1973年(昭和48年)- 体育館が完成。
- 1977年(昭和52年)4月1日 - 長崎市立横尾小学校の新設に伴い、学区改正の上、児童を移す。
- 横尾小学校の児童数559名のうち、1・6年生は校舎完成までの間、大園小学校校舎で授業を行うという分散授業の形態をとる。(翌1978年(昭和53年)3月まで)
- 1979年(昭和54年)4月1日 - 長崎市立虹が丘小学校の新設に伴い、学区改正の上、児童を移す。
- 1980年(昭和55年)- プールが完成。
- 1991年(平成3年)- 帰国子女のための日本語教室を開設。
- 1992年(平成4年)- 運動場を改修。
- 2001年(平成13年)- 校門を改修。
アクセス
- 最寄りのバス停
- 最寄りの国道・県道
周辺
脚注
- ^ 読みは「なめし」。
- ^ a b 「市制百年 長崎年表」(1989年(平成元年)4月1日, 長崎市役所)p. 282 現代の長崎
- ^ 長崎市立小・中学校の校区一覧 (PDF)- 長崎市役所ウェブサイト
参考資料
関連事項
外部リンク