長尾景誠
長尾 景誠(ながお かげのぶ)は、戦国時代の武将。山内上杉家の家臣。白井長尾氏7代当主。上野国白井城主。 略歴永正4年(1507年)、長尾景英の嫡男として誕生。母は通説では長野業正の姉とされるが、異説では長尾景人の娘が母で長野業正の姉は正室の誤りとする[1]。また、長野業正の長男・吉業は景誠の娘を妻にしたとする[2]。 父の病死する直前の大永4年(1524年)頃に家督を継ぎ、白井城主となる。総社長尾氏の長尾顕景や越後国守護代・長尾為景と軍事面で盟友関係を結び、山内上杉家に反抗する。その後、山内上杉家方の上野長野氏に攻められると、同氏と婚姻を結んでその支援を受けるようになった。 大永8年(1528年)、家臣によって討たれた。当時、山内上杉家は上杉憲寛と憲政の家督争いの中にあり、景誠の死もこの争いに関わっているとみられている。業正の斡旋によって、跡を総社長尾家出身の憲景が継いだ。 脚注出典
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