鍛冶町(かじまち)は、秋田県横手市の町。郵便番号は013-0031[2]。人口は165人、世帯数は76世帯(2020年10月1日現在)[1]。
地理
横手地域の中央部に位置し、東で大町・清川町、西で田中町・前郷一番町、南で平和町、北で四日町と隣接する。
沿線には商店などが立ち並び、江戸時代以降から市内を代表する商業地であった大町・四日町の南側に位置する。横手鍛冶町郵便局が置かれている。
歴史
近世
横手川右岸の朝倉山(通称・お城山)に位置した横手城の城下町として栄えた地域で、現在も横手市の中心市街地の一角を成している。現在の鍛冶町は横手川の左岸、商人や職人が住む「外町」に当たる地域で、江戸時代頃から城下町として形成されていった。当時の横手城下の外町において最南端に位置する町で、横手鍛冶町や五日町とも呼ばれた。
羽州街道が南方の横手前郷村から田町を経由してこの町を縦貫し、北の二日町に至る。二日町は、鍛冶町と大町・四日町に挟まれた場所にあり、1881年(明治14年)の「郡区町村一覧」においては栄通町(さかえとおりまち)、現代の住居表示においては横手市鍛冶町・四日町の一部となっている。羽州街道は二日町に入った後、大町と四日町の二筋に分かれる。現在田中町にある蛭子神社は、天正2年(1574年)にこの二日町の地で建立されたもので、天正19年に類焼により西の田中町へと移転し、再建されたと伝えられている。
鍛冶町と田町の境界(現在の金比羅神社境内)には阿弥陀堂があり、そこに羽州街道の一里塚が置かれた。これは幕府からの指示で秋田藩が整備したもので、久保田城の大手門の柱が基点になっている。
近現代
住居表示
住居表示に関する法律が施行された1962年5月10日以降、旧横手市内においても住居表示が進み、1965年より第一次から第五次にかけて実施された。本地域は第二次地区として1966年4月1日に実施され、現行の鍛冶町はここで誕生した。
実施後
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実施年月日
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実施前
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備考
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鍛冶町
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昭和41年4月1日
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栄通町(一部) さかえとおりまち
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鍛冶町 かじまち
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世帯数と人口
2020年(令和2年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
人口の推移
以下は国勢調査による1995年(平成7年)以降の人口の推移。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[19]。
交通
鉄道
町内に駅はない。最寄り駅は駅前町にあるJR東日本奥羽本線・北上線の横手駅。
バス
羽後交通
道路
施設
脚注
参考文献
外部リンク