野口円活野口 円活(のぐち えんかつ、文政9年(1826年) - 明治26年(1893年)[1])は江戸時代から明治時代にかけての浮世絵版画の彫師。 略歴文政9年(1826年)に僧侶として生まれた。彫工円活、彫工野口円活、野口円活、寸鉄堂と号す。明治18年(1885年)から明治24年(1891年)に月岡芳年の錦絵『月百姿』(大判100枚揃)、明治19年(1886年)の芳年の「中納言行平朝臣左遷須磨浦逢村雨松風二蜑戯図」(大判2枚続)、明治22年(1889年)から明治25年(1892年)の芳年の『新形三十六怪撰』(大判36枚揃)などを彫っている。『月百姿』の「大物海上月 弁慶」ほか、『新形三十六怪撰』の「清姫日高川に蛇体と成る図」ほかに円活という名前がみられる。 明治19年(1886年)ころ、月岡芳年が門人27名に出した「芳年門人一覧」と題された書状に「下谷区仲御徒町 野口円活殿」とその名がみられる。享年68。 作品
出典
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