里見義俊

 
新田 義俊/里見 義俊
時代 平安時代末期
生誕 不詳
死没 嘉応2年(1170年
別名 大新田里見太郎[1]、大新田入道
氏族 清和源氏新田氏里見氏竹林氏
父母 父:源義重
兄弟 義俊山名義範新田義兼得川義季額戸経義祥寿姫源義平正室)、足利義清室、武田信光室、那須与一室?、得河義秀?
義成田中義清[2]
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新田 義俊/里見 義俊(にった よしとし/さとみ よしとし)は、平安時代末期の武将

略歴

事績などは不明だが、里見氏に伝わる家系図に義俊の名が記されている。

新田氏の初代当主新田義重の庶長子だったが[3]、妾腹のために家督を嫡出の異母弟の義兼に譲って分家し、上野国新田荘竹林(高林)郷[4]を与えられた。

久寿元年から2年(1154年 - 1155年)頃に、北方の碓氷郡八幡荘)里見郷[5]付近の碓氷城[6]に移り、山城を築き、居を構えた時に里見氏と称した。

父・義重に先立ちこの世を去った。天台宗・里見山光明寺に葬られている[7]

異説としては、建久4年(1193年)8月に安房国守護となり、安房国平郡(平群郡)を拠点とした安房里見氏の祖となったという[8]

脚注

  1. ^ 新田荘内の竹林郷(高林とも)を領したため、竹林六郎太郎とも呼ばれていた。
  2. ^ 新田氏系田中氏の祖。
  3. ^ 『姓氏』(樋口清之監修/丹羽基二著)では、三男とする。
  4. ^ 現在の群馬県太田市高林寿町・高林北町・高林東町・高林西町・高林南町など。
  5. ^ 現在の群馬県高崎市上里見町・中里見町・下里見町。
  6. ^ 上里見城・神山城とも。
  7. ^ 上野国里見山光明寺にある『光明寺縁起』によると、義俊は建仁4年/元久元年(1204年)に没したと伝わる。
  8. ^ 『姓氏』が引用する斎藤夏之助の『安房志』より。