里見義俊
新田 義俊/里見 義俊(にった よしとし/さとみ よしとし)は、平安時代末期の武将。 略歴事績などは不明だが、里見氏に伝わる家系図に義俊の名が記されている。 新田氏の初代当主新田義重の庶長子だったが[3]、妾腹のために家督を嫡出の異母弟の義兼に譲って分家し、上野国新田荘竹林(高林)郷[4]を与えられた。 久寿元年から2年(1154年 - 1155年)頃に、北方の碓氷郡(八幡荘)里見郷[5]付近の碓氷城[6]に移り、山城を築き、居を構えた時に里見氏と称した。 父・義重に先立ちこの世を去った。天台宗・里見山光明寺に葬られている[7]。 異説としては、建久4年(1193年)8月に安房国守護となり、安房国平郡(平群郡)を拠点とした安房里見氏の祖となったという[8]。 脚注 |