里見 周三[1][2](さとみ しゅうぞう、1877年(明治10年)12月31日[1] - 没年不明)は、日本の醸造家・実業家・政治家。里見合資会社代表社員[3]。
経歴
鳥取県出身。醤油製造業[2]、度量衡業[4]を営む[注 1]。境港商報社長[6]、境貿易監査役[7]・同専務取締役[8]・同取締役[9]、境水産専務取締役[9]・同取締役[10]、境印刷取締役[7]・同社長、境町会議員、境町学務委員などをつとめる[11]。
人物
里見周三について、『商工資産信用録 第26回』には「職業・醤油、調査年月・1925年7月、正身身代・未詳、信用程度・D」とある[12]。
『商工資産信用録 第34回 鳥取県ほか』には「職業・醤油、調査年月・1932年1月、正味身代・Z、信用程度・E」とある[13]。
『西伯之資力 大正11年10月調』によると「所有地価金は675円57銭[14]、所得税は9円[14]」である。
住所は鳥取県西伯郡境町松ヶ枝町(現・境港市松ヶ枝町)。
家族
内務官僚里見富次は息子。二女の正子は加藤章の妻[15]。
脚注
注釈
- ^ 里見周三について、1927年出版の『帝国興信要録 改訂(11版)』には「丸大印 醤油醸造 度量衡業」とある[5]。
出典
参考文献
- 『境港案内』境商工会、1906年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治36年』商業興信所、1893 - 1911年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治40年』商業興信所、1893 - 1911年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治41年』商業興信所、1893 - 1911年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 明治42年』商業興信所、1893 - 1911年。
- 小泉憲貞編『境港沿革史』小泉憲貞、1915年。
- 﨏雨村編『陰陽八郡郡勢一斑』陰陽八郡時報社、1917年。
- 高橋恒之助編『金属大鑑』金属大鑑発行所、1921年。
- 商業興信所編『商工資産信用録 第26回』商業興信所、1921 - 1926年。
- 日本電報通信社編『新聞総覧 大正11年』日本電報通信社、1922年。
- 西伯の資力調査会編『西伯之資力 大正11年10月調』西伯資力調査部、1922年。
- 帝国興信社編『帝国興信要録 改訂(11版)』帝国興信要録発行所、1927年。
- 大蔵省印刷局編『官報 1929年03月26日』日本マイクロ写真、1929年。
- 『商工資産信用録 第34回 鳥取県ほか』商業興信所、1933年。
- 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。