運天ジョン・クレイトン
運天 ジョン・クレイトン(うんてん ジョン・クレイトン、1992年3月27日 - )は、沖縄県宜野湾市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 経歴プロ入り前父親がアメリカ人で母親が日本人。そのため、父親との会話は英語と日本語の半々で行っている。 父親の影響で小学2年から我如古ファイターズで投手として野球を始め、中学時代は硬式・宜野湾ポニーズに所属していた。その容姿や長い手足を持つ体形、投球フォームから「沖縄のダルビッシュ有」の異名をとる[1]。 2007年に浦添工業高校に入学。当時は下半身が弱く体が出来上がっていない状態でありながら145km/hの球を投じ、1年の夏には沖縄尚学高校を相手に140km/h台の直球で打者5人から4三振を奪うも敗退。エースとなった2年夏に、沖縄大会の1回戦・宮古高校戦で延長15回を無四球・無失点に抑える好投を見せたが、同大会史上初の引き分け再試合の末敗退してしまった。3年夏の同大会では1回戦の八重山農林高校戦で最速147km/hを記録、6回まで無安打、7イニングを2安打無失点。興南高校戦でもリリーフ登板して6イニングを2失点に抑える投球を見せたが、味方打線が相手投手陣に1安打完封され敗退した。甲子園出場はならなかったが4試合で21.2イニングを投げ、イニング数を上回る22個の三振を奪った。また、打たれた安打は8本。防御率は0.83だった。 2009年のプロ野球ドラフト会議で、北海道日本ハムファイターズが4位で運天を指名し、交渉権を獲得した。 プロ入り後プロ2年目の2011年、5月14日のオリックス・バファローズ戦で9回表にプロ初登板を果たす。先頭のマイク・ヘスマンに本塁打を打たれるが、1イニングをその1失点のみに抑えた。 2014年10月3日付けで来季の契約を結ばないことが通達された[2]。12月2日、自由契約公示された[3]。 日本ハム退団後、社会人野球チームのエナジック硬式野球部に入団。 選手としての特徴柔らかなフォームから繰り出す、最高速150km/h(2010年ファームで計測)の速球と縦横2種類のスライダーやカーブが武器の速球派。また遠投118メートルの強肩、50メートル走は6秒1と身体能力も高い。 詳細情報年度別投手成績
記録
背番号
脚注
関連項目外部リンク
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