辻野正人辻野 正人(つじの まさと、1955年[1] - )は映画・テレビドラマ作品の元監督・演出家。函館ラ・サール高校、早稲田大学演劇科卒業[2]。 経歴27歳で大学を卒業後、親戚の縁で脚本家の八木保太郎に師事[2]。東映と繋がりのあった八木の紹介で、東映の関連会社であるユニ企画に所属し、1985年に東映不思議コメディーシリーズ『勝手に!カミタマン』へサード助監督として参加[2]。痛風により一時現場を離れるが、復帰後セカンド助監督となり、さらにチーフ助監督であった近藤杉雄の監督昇進に伴いチーフ助監督へ昇格[2]。32歳のときに『おもいっきり探偵団 覇悪怒組』にて監督デビューを果たす[1][3][2]。同作品ではシナリオも執筆している。次回作の『じゃあまん探偵団 魔隣組』でもメガホンを執るが、スケジュール進行のトラブルで作品中途で東映を離れる[2]。 数々のテレビ・映画作品に助監督として携わった後、助監督を務めていた『世にも奇妙な物語』の現場で不思議コメディーシリーズのプロデューサーを務めていたフジテレビの石原隆と再会し、石原の推薦で同作品終盤では監督を務めた[3][2]。にっかつで監督や助監督を務めたのち、再び東映での仕事も手掛けるようになる[2]。1995年の『超力戦隊オーレンジャー』からスーパー戦隊シリーズへ参加する[3][2]。 2008年4月のクールでは『科捜研の女』と『トミカヒーロー レスキューフォース』の両作品でメイン監督を務めるなど精力的に活動した。『科捜研の女』にはスタート当初から第10シリーズまで全てメイン級の監督として参加をしていたが、2011年10月スタートの第11シリーズからはローテーションから外れ、結果的には2011年1月放送の『フェイク 京都美術事件絵巻』が最後の演出作品となった。 人物元々映画が好きであったが、制作側を志したきっかけは大学時代に海外を放浪した際に黒澤明などの映画が世界共通の話題になっていたことであった[3]。 不思議コメディー時代の監督陣では坂本太郎と最も気が合っていたといい、2019年のインタビューでも酒を酌み交わす間柄であることを語っている[2]。 不思議コメディーシリーズのメインライターである浦沢義雄を高く評価しているが、『覇悪怒組』『魔隣組』では浦沢の脚本回を担当することはなかった[2]。辻野は、新人には荷が重いので会社が気を遣ってくれていたと述べている[2]。 シナリオライターでは『ビーナスハイツ』『世にも奇妙な物語』『電磁戦隊メガレンジャー』などで組んだ武上純希との仕事が多い[4]。『星獣戦隊ギンガマン』第15話は念願のコメディであったため二人で盛り上がったという[1][4]。 1995年に『重甲ビーファイター』の立ち上げで参加を打診されていたが、番組の撮影が始まっても声がかからなかったため抗議したところ、『オーレンジャー』に参加する運びとなったという[2]。 スーパー戦隊シリーズではパイロット後の第3話・第4話を担当することが多い[3]。辻野は、第3話・第4話は基本設定の説明が終わっており、役者もキャラクターを掴んでいて、ストーリー作りに集中できるので比較的やりやすいと述べている[3]。 スーパー戦隊シリーズ以前はアクション作品に縁がなかったため、同シリーズのアクション監督の制度に馴染むことができず、アクションやメカのパートは任せきりであったと述べている[2]。 作品演出(監督)連続テレビドラマ
単発テレビドラマ
オリジナルビデオ
脚本
脚注注釈出典
参考文献
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