軍服 (トルコ)トルコの軍服(トルコのぐんぷく)はオスマン帝国からトルコ革命によるトルコ共和国の建国(1923年)、そして以降現在に至るトルコの軍隊で使用された服装。 近世ヨーロッパとオスマン帝国オスマン帝国が全盛を誇っていた16世紀から17世紀にかけてのトルコの文化は、服飾を含めて当時のヨーロッパに大きな影響を与えていた。そのため、中世から近世への変革期だったヨーロッパの軍隊にはその制度や服装が多く取り入れられ、現在に至っている。
タンジマート改革と洋式軍服の導入
ドイツ式軍服の導入~第一次世界大戦前後20世紀に入り、ロシア帝国が主導する汎スラヴ主義への対抗からオスマン帝国はドイツ帝国との提携を強め、第一次世界大戦もドイツ・オーストリア側に立って参戦した。このことは軍服にも反映し、特に陸軍の軍服には折襟仕立ての上着、肩章、長靴などにドイツ軍の影響を強く受けたものが着用されるようになり、またドイツ軍が大戦中に開発したヘルメットも導入された。ただ、生地色にはドイツ軍の戦闘軍装に一般的な緑灰色ではなくカーキ色が用いられ、また制帽には引き続きフェス帽が用いられた。1910年8月3日の軍帽令により、将校は勤務日および公式の休日にカーキ色のアストラハン・カルパクの着用を義務付けられた。[1]第一次世界大戦中、陸軍ではフェズが廃止され「ラズ帽」として知られていたタイプの帽子が採用され、エンヴェル・パシャの名前をとって「エンヴェリイェ」と呼ばれるようになった。また、海軍では、ジェマル・パシャが新しいタイプの帽子を採用し「ジェマリイェ」と呼ばれた。[2]
トルコ共和国の軍服第一次世界大戦後、ムスタファ・ケマル・アタテュルクを指導者とするトルコ革命により、1922年にスルタン=カリフ制が廃止されてオスマン帝国は終焉し、翌23年にトルコ共和国が成立した。このような変革にともない、かつて洋式軍制・軍服の導入にともなってターバンに取って代わる形で導入されたフェス帽は、軍服においては世界各国と共通のつばつきの軍帽に取って代わられたのである。 軍帽以外の点については、トルコ共和国の軍服は、建国当初はオスマン帝国時代末期の傾向を引き継いで、上着の折襟仕立て、肩章、長靴等にドイツ軍の影響をとどめていた。 第二次世界大戦後、西側陣営の一員としてNATOにも加盟したトルコ軍の軍服は、概ねアメリカ軍に近いものとなっている。 トルコ軍の軍服の形式はソ連が崩壊し独立した後のアゼルバイジャン軍でも2000年に採用された。
フェス帽上で述べたように、オスマン帝国時代に軍帽として採用されたフェス帽は、トルコ国内では革命にともなって廃止されたが、旧オスマン帝国領の国(エジプト等)や、ヨーロッパの軍隊でムスリム系住民を兵士に編成した場合(オーストリア・ハンガリー帝国、イギリスやフランスの植民地軍、ナチス・ドイツの武装親衛隊等)に、しばしば軍帽として採用された。
参考文献
出典
外部リンク
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