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この項目では、2代目の赤城マリ子について説明しています。初代の赤木まり子については「赤木まり子」をご覧ください。 |
赤城 マリ子 Mariko Akagi |
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プロフィール |
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リングネーム |
赤城 マリ子 赤木 まり子(2代目) |
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誕生日 |
(1954-01-06) 1954年1月6日(70歳) |
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出身地 |
岩手県盛岡市 |
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トレーナー |
松永俊国 |
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デビュー |
1970年 |
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引退 |
1979年 |
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赤城 マリ子(あかぎ まりこ、1954年1月6日 - )は、岩手県盛岡市出身の元女子プロレスラー。本名・加瀬谷 東子。
来歴
中学卒業後に上京。会社員として勤務後、全日本女子プロレスに入門。当時の女子プロレスラーには珍しい、数々の技を使いこなす随一のテクニシャンだった。全女を経営する松永家とは親戚に当たる(これは初代・赤木マリ子の情報)2代目は縁故関係はない。
リングネームは赤木まり子より2代目を襲名(初代はマスクをかぶりマスクド・マリに変身)。後に表記は「赤城マリ子」に変わった。
1970年3月19日デビュー。
1972年10月11日、ジャンボ宮本と組み、WWWA世界タッグを獲得。ペギー黒田、佐々木順子、柳みゆき、マッハ文朱とのタッグでも王座に君臨した。
シングルでも1976年3月15日にジャンボ宮本よりWWWA世界王座を奪取。
選手晩年は覆面ヒールに転向し、シルバー・サタン(鋤崎真澄)とのシルバー・ペアを組んだ。
1979年7月31日に鋤崎真澄と一緒に引退。フジテレビ「全日本女子プロレス中継」解説者となる。
退社後は品川区で「マリ子の店」を経営していたが、2009年末、閉店。
店を経営してからはほとんどマスコミに現さなかったが、2010年に短編映画「ミステルロココ」に協力するとともに女優として出演も果たした。
なお、引退後に全女入りした立野記代が3代目赤城マリ子を襲名する話も出ていた[1]。
2022年1月のブル中野のぶるちゃんねるに登場。ブル中野と対談を行っている[2]。
タイトル
得意技
テレビ出演
脚注
外部リンク
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初代-10代 | |
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