賀島政良

賀島 政良(かしま まさよし、正徳5年(1715年) - 安永9年8月2日1780年8月31日))は、徳島藩家老賀島家8代当主。

父は賀島政之。兄は賀島政朝(先代当主)。正室は林貞喬の娘。子は賀島政孝。幼名・春之丞。通称・出雲、上総。

生涯

正徳5年(1715年)、徳島藩家老賀島政之の子として生まれる。享保18年(1733年)、兄政朝の死去により家督と知行6000石を相続する。享保20年(1735年)、仕置家老となる。宝暦2年(1752年)、4000石の加増を受け知行1万石に復す。

明和2年(1765年)、藩政改革を推し進める藩主蜂須賀重喜により、反対派として仕置家老を罷免され閉門処分となる。明和3年(1766年)に閉門が解かれ、嫡男政孝が相続を許される。明和6年(1769年)に重喜が幕府より蟄居を命じられ、藩政が旧に復すると政孝も家老に復帰する。その後も、政良自身は下屋敷で自由を制限された生活を強いられ続けた。安永9年(1780年)8月2日死去。享年66。

参考文献

  • 「阿南市史」