賀島政孝賀島 政孝(かしま まさたか、元文3年(1738年) - 寛政7年1月17日(1795年3月7日))は、徳島藩家老賀島家9代当主。 父は賀島政良。母は林大蔵貞喬の女。子は賀島政徳。幼名は長熊。通称は備前、出雲。号は主鈴。 生涯元文3年(1738年)、徳島藩家老賀島政良の長男として生まれる。宝暦8年(1758年)、藩主蜂須賀重喜より、部屋住料2000石を賜る。 明和2年(1765年)、父政良が藩主重喜より、藩政改革の反対派として仕置家老を罷免され、閉門処分を受ける。明和3年(1766年)、政良の隠居により政孝の家督相続が認められ、知行1万石を相続するも、賀島家の家老職への復帰は叶わなかった。明和6年(1769年)に藩主重喜が、藩政の混乱から幕府に咎蟄居を命じられ、藩政が旧に復すると、政孝も家老に復帰することとなった。 寛政2年(1790年)、隠居して家督を嫡男の政徳に譲る。寛政7年(1795年)1月17日死去。享年58。 参考文献
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