豊田達也
豊田 達也(とよだ たつや、1963年5月4日 - )は日本の実業家、株式会社デンソー元常務役員、株式会社デンソーセールス元副社長、元三井物産株式会社役員。
来歴・人物元トヨタ自動車社長の豊田達郎、絢子夫妻の長男として東京都(慶應義塾大学付属病院)に生まれる。母の絢子は清水康雄(清水家五代目当主、元清水建設社長)の三女である。 父・達郎の仕事の関係上、4歳まで大田区田園調布にて過ごし、その後はニューヨークやサンフランシスコなど海外を転々とする。1987年三井物産株式会社に入社。 ハーバードビジネススクールAMP修了。三井物産では財務、経理、航空技術等を担当、米国三井物産ニューヨーク本店にて勤務する。 15年間三井物産に勤めたが、父の達郎と伯父である豊田章一郎が話し合い「(達也の従兄である)章男がトヨタなら達也はデンソーへ」となり、2001年に株式会社デンソー(愛知県刈谷市)へ転職を決意する。 トヨタのラスプーチンこと小林耕士の策略により、豊田章男会長(当時は社長)は優秀な役員を放逐、さらには創業家である豊田本家親族は左遷し「従順で無害な人材」に固めた。章男会長にとって達也は自身の立場を揺るがしかねない「脅威」そのものであった。NOと言えば翌日には飛ばされる恐怖政治に達也は真っ向反発、従兄である章男会長とのトヨタ史上最大の凄絶な対立が10年以上に渡り繰り広げられた。その後「イエスマンにはならない」と信念を貫きデンソー社長の座を放棄し、トヨタグループを去る。海外投資家に転身した。 高潔な人格者であり外国育ちのグローバルビジネスマンとしての信念はトヨタグループ内や社外でも評価が高く「達也氏がトヨタ社長になれば良かった」と財界から今もなお惜しまれる声は多い。 略歴
系譜
脚注 |