西村省一郎
西村 省一郎(にしむら しょういちろう、1941年〈昭和16年〉4月12日 - 1988年〈昭和63年〉6月17日)は、京都府出身のプロ野球選手(投手)。 1961年から1972年までの登録名は西村 省三(にしむら しょうぞう)。 来歴・人物花園高等学校では2年生の時、エースとして1958年秋季近畿大会府予選準決勝に進むが山城高に敗れる。翌1959年夏の甲子園府予選は準々決勝で平安高の藤野隆司、野口元三のバッテリーに抑えられ敗退。卒業後は近畿大学に進学。近畿学生野球リーグでは在学中3季連続優勝。1960年春季リーグで大阪学芸大からノーヒットノーランを達成、1961年春季リーグでは阪大から23奪三振を記録している。 大学を2年生で中退し、1961年に南海ホークスへ入団。1年目の最終戦で初登板初先発、東映の久保田治と投げ合うが4回1失点で敗戦投手となる。1962年に肩を複雑脱臼するという大けがを負った。その後の3年は登板機会がなかったが、1964年にアメリカ合衆国のメジャーリーグ・サンフランシスコ・ジャイアンツ傘下1Aフレズノの教育リーグに村上雅則、高橋博士らと野球留学。帰国後の1965年には3試合に先発として起用される。入団7年目となる1967年は8月15日にシーズン初先発。西鉄の池永正明と投げ合い、白星はつかなかったが8回2/3を無失点に抑える。8月18日には東映の尾崎行雄に投げ勝ち完封勝利、プロ初勝利を初完投初完封で飾った。その後はスライダーを武器に主に中継ぎとして起用される。1970年限りで事実上引退。 引退後、1971年から打撃投手兼スコアラーに転向し[1]、1973年に名前を省一郎に改名。1978年まで打撃投手を務め、その後もスコアラーとして南海ホークスの末期まで裏方でチームを支え続けた。スコアラー在職中の1988年6月17日に心筋梗塞のため死去。47歳没。 エピソード打撃投手兼スコアラーに転向後はコーチ補佐的な仕事もこなし、「軍曹」の綽名で親しまれた。水島新司の漫画『あぶさん』では第6巻第9章「ネット裏のエース」というタイトルで裏方時代の活躍が描かれている[2]。そこでは、「省三」は努力しても報われない名前として改名を勧められたが、現役時代はこの名前に固執し、事実結果は残せず、裏方転身後にそれはチームにかかわる大問題だからとして「省一郎」に改名したと説明されている。 詳細情報年度別投手成績
記録
背番号
登録名
脚注関連項目
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