西方院 (大阪府太子町)
西方院(さいほういん)は、大阪府南河内郡太子町太子にある浄土宗の寺院。山号は南向山。寺号は法楽寺。本尊は阿弥陀如来。観音堂は新西国三十三箇所第8番札所で本尊は十一面観音である。 歴史『河内名所図会』等に見える伝承によれば、推古天皇30年(622年)に聖徳太子が死去した後に出家した三人の侍女、善信尼(俗名月益、蘇我馬子の娘)・禅蔵尼(俗名日益、小野妹子の娘)・恵善尼(俗名玉照、物部守屋の娘)により、聖徳太子廟がある叡福寺の門前に[1]その塔頭として法楽寺の寺号で創建されたといい、聖徳太子作の阿弥陀如来像を本尊として遺髪を納めたと伝わる。 以上の縁起から、日本最古の尼寺であるともいう。ただし、『日本書紀』によれば、善信尼は司馬達等の娘、恵善尼は錦織壺の娘で、出家したのは敏達天皇13年(584年)であり、日本最古の尼寺は飛鳥の豊浦寺である。 寺伝では天正2年(1574年)に河内国に攻め込んできた明智光秀によって焼かれたという[1]。 江戸時代初期の寛永16年(1639年)、衰退し荒廃していた寺を浄土宗の蓮誉寿性尼が中興し、名称を西方院と改めた[1]。 かつては叡福寺の塔頭であったが、現在は独立している。 境内
文化財前後の札所所在地
アクセス脚注注釈出典参考文献
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