西原貢
西原 貢(にしはら みつぎ[1]、1887年(明治20年)7月20日[2] - 1979年(昭和54年)1月24日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍主計中将。功四級[1]。 経歴1887年(明治20年)に東京府で生まれた[2]。陸軍経理学校第4期主計候補生として1910年(明治43年)5月24日に卒業した[3][4]。1934年(昭和9年)8月1日に陸軍一等主計正進級と同時に第9師団経理部長に就任し[1]、1936年(昭和11年)8月に第20師団経理部長に転じた[1]。 1938年(昭和13年)7月15日に陸軍主計少将進級と同時に朝鮮軍経理部長に就任し[1]、1940年(昭和15年)8月に陸軍被服本廠長に転じた[2]。1941年(昭和16年)8月に陸軍主計中将に進級し[1]、1943年(昭和18年)3月に支那派遣軍経理部長に就任して中国戦線に出動した[2]。1944年(昭和19年)10月26日に東部軍司令部附となり[2]、12月1日に待命[1]、12月2日に予備役に編入された[1]。 1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。 栄典
脚注参考文献
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