藤原信家
藤原 信家(ふじわら の のぶいえ)は、平安時代中期から後期にかけての公卿。藤原北家、関白太政大臣・藤原教通の長男。官位は正二位・権大納言。山井第を伝領したことから山井大納言と号した。 経歴寛仁2年(1019年)内大臣であった藤原教通の長男として誕生。長元3年(1030年)に元服するが、摂関の座にあった伯父・頼通の猶子となっていた[1]ため正五位下に直叙され、侍従に任ぜられる。右近衛中将を経て、長元6年(1033年)15歳にして従三位に叙せられ公卿に列す。 長元9年(1036年)に従二位・権中納言、長久2年(1041年)には正二位と藤原道長の孫の代としては先頭を切って順調に昇進し、永承2年(1047年)には実父・教通の右大臣就任と同日に、先任の権中納言で既に60歳を過ぎていた小野宮流の藤原経通・資平兄弟を超えて権大納言に昇任している。 その後は、父の教通や伯父の頼通・頼宗・能信・長家兄弟や源師房が健在だったこともあり、長く権大納言の官職に留まる。しかし、康平3年(1060年)伯父・頼通の六男で前々年に権大納言に昇進したばかりの師実が、17歳ながら信家を飛び越えて内大臣に任ぜられたことを苦にして籠居、翌康平4年(1061年)4月8日に権大納言を辞し、13日出家し即日薨去した。胃病であったという。 官歴注記のないものは『公卿補任』による。
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