葛城烏那羅
葛城 烏那羅(かつらぎ/かずらき の おなら、生没年不詳)は、古墳時代・飛鳥時代の豪族。名は烏奈良、小楢とも表記する。姓は臣。厩戸皇子(聖徳太子)の側近。 経歴蘇我馬子が物部守屋を討った際、泊瀬部皇子(後の崇峻天皇)・厩戸皇子らと共に参陣した。崇峻天皇4年(590年)11月新羅討伐大将軍の一人として諸氏の臣・連を率いて裨将部隊2万余を領し、筑紫に在陣した(ただし実際に渡海はしていない)。 厩戸皇子が伊予国の温泉(いよのゆ、現在の道後温泉か)に行啓した折に、僧・恵慈と共に同行した「葛木臣」を葛城烏那羅のことであるとする説もある[要出典]。 なお、飛鳥池遺跡からは「湯評伊波田人葛木部鳥」と書かれた木簡が出土している。 脚注関連項目 |