華徳院 (杉並区)
概要9世紀、慈覚大師円仁によって開山された。元々は下野国佐野(現・栃木県佐野市)にあり、「理正院」という名称だった[1]。 その後、武蔵国霞ヶ関(現・東京都千代田区霞が関)に移り、慶長年間(1596年~1615年)に浅草蔵前天王町(現・台東区浅草橋)に移転した[2]。 延享年間(1744年~1747年)に「華徳院」に改称した。越後安田藩(村松藩)藩主の堀直時の戒名に由来するという[1]。 なお、華徳院改称とともに本尊を閻魔大王にしている。かつては太宗寺や善養寺とともに「江戸三閻魔」として知られ、縁日には多くの人で賑わったという[1]。 しかし1923年(大正12年)の関東大震災で焼失し、1928年(昭和3年)に現在地に移転した。本尊は、かつて牛込にあった行元寺(現在は品川区に移転)の閻魔大王像を迎え、浅草の旧所在地には堂宇を建てて、輪王寺の閻魔大王像を祀った[2]。 1945年(昭和20年)の空襲で浅草の堂宇は焼失したが、閻魔大王像は無事だったため、現在は当寺に保管している[2]。 墓所交通アクセス脚注参考文献
関連項目 |