若江若江(わかえ)は、大阪府東大阪市の旧地域名[1]。概ね東大阪市立若江中学校の学区にあたる[2]。本項では概ね同地域にあった中河内郡若江村(わかえむら)についても述べる。 概ね若江西新町、若江北町、若江南町、若江本町、若江東町の各町丁に相当する。 歴史
近代以前(日本 > 畿内 > 河内国 > 若江郡 > 若江北村、若江南村) 室町時代初期の永徳2年(1382年)に、現在の若江公民館がある一帯に河内守護職だった畠山基国が若江城を築城した。 織田信長が畿内を平定した後は、永禄11年(1568年)に三好義継が入城するが、やがて信長と敵対し、最終的には佐久間信盛に攻撃されて家臣の裏切りにもあい落城した(若江城の戦い)。その後、信長による石山本願寺攻撃の拠点とされたが、和睦後に廃城となった。 江戸時代初期の1615年(慶長20年)にあった大坂の陣において当地を中心に大規模な戦闘が繰り広げられた(八尾・若江の戦い)。 近代以降地理・交通地域内は概ね平坦であり、西側と南側に第二寝屋川が流れる。南側は昭和40年代に八尾市境に開削された新しい水路である。 地域内には鉄道は通っていない。最寄駅は少し北にある近鉄奈良線若江岩田駅もしくは北西にある八戸ノ里駅。 主要道路は、西を府道大阪中央環状線が南北に通り、ほぼ中央部を府道八尾枚方線が南北に、府道大阪東大阪線が東西に通る。 高速道路は、近畿自動車道の東大阪南インターチェンジアプローチ部分が当地にかかっている。 若江南で西と南北を結ぶ旧街道が交差する。 地域若江北町、若江本町、若江東町(1〜3丁目)、若江西新町(1〜3丁目)旧若江村の北側、府道大阪東大阪線より北に位置する。 主な施設、旧跡 (若江本町1〜4丁目) (若江東町1〜3丁目)
(若江西新町1〜3丁目)
若江南町、若江東町(4〜6丁目)、若江西新町(4,5丁目)旧若江村の南側、府道大阪東大阪線より南に位置する。 主な施設、旧跡
(若江東町4〜6丁目)
(若江西新町4,5丁目) 脚注関連項目 |