竣工直後の第16駆逐艦(芙蓉)
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艦歴
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計画 |
1918年度(八六艦隊案)
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起工 |
1922年2月16日
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進水 |
1922年9月23日
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就役 |
1923年3月16日(第十六駆逐艦)
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その後 |
1943年 12月20日戦没
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除籍 |
1944年2月5日
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性能諸元
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排水量 |
基準:820トン
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全長 |
83.8m
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全幅 |
8.08m
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吃水 |
2.51m
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主缶 |
ロ号艦本式缶3基
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機関 |
オールギアードタービン2基2軸 21,500shp
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最大速力 |
35.5ノット
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航続距離 |
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乗員 |
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兵装 |
12.0cm単装砲3基 6.5mm単装機銃2基 53cm連装発射管2基4門
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芙蓉(ふよう)は、日本海軍の駆逐艦。若竹型駆逐艦の7番艦である。
艦歴
歴代艦長
※『艦長たちの軍艦史』380-381頁による。
艤装員長
- 柏木英 少佐:1922年9月20日 - 1923年3月16日
駆逐艦長
- 柏木英 少佐:1923年3月16日 - 1924年12月1日
- 畠山耕一郎 少佐:1924年12月1日 - 1925年12月1日[1]
- (兼)坂野民部 少佐:1925年12月1日[1] - 1926年11月1日[2]
- 直塚八郎 少佐:1926年11月1日 - 1927年12月1日
- 安富芳介 少佐:1927年12月1日 - 1928年12月10日
- 久宗米次郎 少佐:1928年12月10日 - 1929年11月30日
- 成田忠良 少佐:1929年11月30日 - 1930年12月1日
- 有賀幸作 少佐:1930年12月1日 - 1932年1月28日[3]
- 田中穣 少佐:1932年1月28日[3] - 1932年8月24日[4]
- 太田信之輔 少佐:1932年8月24日 - 1932年11月15日
- 山田雄二 少佐:1932年11月15日 - 1933年9月1日[5]
- 長井純隆 大尉:1933年9月1日[5] - 1933年11月15日[6]
- (兼)中津成基 少佐:1933年11月15日 - 1934年5月15日
- (兼)勢経雄 少佐:1934年5月15日[7] - 10月22日[8]
- 吉田正義 大尉:1934年10月22日 - 1935年11月15日
- 阿部徳馬 少佐:1935年11月15日 - 1936年12月1日
- 小川綱嘉 大尉:1936年12月1日 - 1937年12月1日[9]
- 角田千代吉 少佐:1937年12月1日 - 1939年1月10日[10]
- (兼)千本木十三四 少佐:1939年1月10日[10] - 1939年8月1日[11]
- (兼)中村昇 少佐:1939年8月1日[11] - 1940年1月20日[12]
- 中村昇 少佐:1940年1月20日 - 1940年4月20日[13]
- (兼)花見弘平 大尉:1940年10月15日[14] - 1940年11月15日[15]
- 橋本正雄 少佐:1940年11月15日 - 1941年7月25日[16]
- 村上忠臣 大尉:1941年7月25日 -
- 大熊安之助 大尉:1942年10月30日 -
- 角野鉄男 大尉:1943年10月20日 -
脚注
参考文献
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』第一法規出版、1995年。
- 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9