能勢勝右衛門
能勢 勝右衛門(のせ かつえもん)は、江戸時代前期の岡山藩士。諱は不明。通称は少右衛門のち勝右衛門(但し、高柳利一は「勝右衛門」は役務上の呼称ではないかと指摘している)。知行800石。 生涯岡山藩公儀使・能勢少右衛門の子として誕生。寛文12年(1672年)、小姓組組頭を務める。 元禄4年(1691年)8月病となり、日置猪右衛門(家老)・池田兵庫(番頭)に病気養生を申し渡され、京都で療養したものの薬石効無く10月2日京都にて没。 跡目は子の権之丞が600石で相続した。 その後の能勢家その後の能勢本家は、権之丞が元禄13年(1700年)に35歳で若死し、叔父能勢助五郎の子藤十郎が権之丞の養子となり相続したが、以降の本家の当主は誰であったのか不明である。 一方で助五郎の家系は150石(幕末は300石)で存続し、助五郎以降は少大夫―栄作―勝右衛門―勝男と続いた。 関連項目 |