耳取遺跡
耳取遺跡(みみとりいせき)は、新潟県見附市熱田町にある縄文時代の環状集落の遺跡[1][2]。2015年(平成27年)10月7日に国の史跡に指定され[3]、2018年(平成30年)2月13日に指定区域が追加された。 位置・概要見附市街地の南方約2キロ、通称耳取山と呼ばれる標高70から77メートルの丘陵頂部に5万平方メートルほどの平坦地があり、ここに縄文時代の集落跡がある。遺跡の存在自体は明治時代から知られていたが、1967年(昭和42年)に初めての学術的な発掘調査が実施され、縄文時代中期から晩期に至る集落遺跡であることが確認された。その後、当地に開発計画が持ち上がったことから、2011年(平成23年)から2014年(平成26年)にかけてあらためて発掘調査を実施。遺跡地の中央部に縄文中期中葉、西側に後期前葉、東側に晩期後葉の遺構が位置することがわかった。遺跡は2015年(平成27年)10月7日付けで国の史跡に指定。その後、2016年(平成28年)に再度調査が実施され、従来明らかでなかった晩期の遺構の全容が確認された。2018年(平成30年)に史跡の追加指定が行われた。史跡指定地は2018年(平成30年)の追加指定分を含め、39,418.68平方メートルである[4]。 遺構概観前述のとおり、縄文中期中葉、後期前葉、晩期後葉の遺構が確認されている。縄文中期・後期・晩期の3期にわたる遺跡は北陸地方ではまれであり、後期集落跡の面積(約16,000平方メートル)は北陸最大級である。1つの遺跡のなかに、断続的とはいえ、これほど長期間にわたる遺構が確認され、しかも各期の遺構が少しずつ場所を違えて存在する例は、北陸のみならず、日本全国でもまれである[5]。 縄文中期の遺構遺跡中央の平坦地に中期中葉を中心とする集落遺構がある。集落の規模は南北約60メートル、東西約70メートルで、南西方向が開いた馬蹄形をなす。竪穴建物跡13軒が検出され、うち8軒が中期中葉、3軒が中期後葉、残る2軒は正確な時期不明となっている。建物跡にともなう炉は、土器埋設石囲炉2基、土器敷石囲炉1基(以上中期中葉)、複式炉とみられるもの3基、地床炉または石囲炉1基(以上中期後葉)となっている。中期の遺物としては土器のほかに硬玉製の小珠1個、大珠2個が出土している[6]。 縄文後期の遺構遺跡中央の平坦地から西側の緩斜面にかけて、後期前葉を中心とする集落遺構がある。南北約200メートル、東西約120メートルの環状集落で、中心に27×20メートルほどの広場がある。後期の遺構としては、長方形平面の掘立柱建物跡42軒、楕円形建物跡24軒が検出されている。広場の南東隅には、方一間(柱間が正面・側面とも1間)で、長軸140から150センチの柱穴を有する建物跡が検出されており、住居というよりは、なんらかのシンボル的建物とみられる。集落の北端、東端と広場の南端には、墓域と断定はできないが、人骨の散乱する区域がある[7]。 縄文晩期の遺構遺跡東側の緩斜面に晩期後葉を中心とする集落がある。南北約80メートル、東西約70メートルの環状集落で、中心に30×20メートルほどの広場がある。2016年(平成28年)の再調査の結果、亀甲形、五角形、長方形及び落棟式の掘立柱建物跡計55軒が検出された。縄文晩期の集落で、掘立柱建物のみから構成されるものは、日本全国でも珍しい[8]。 脚注
参考文献
関連項目外部リンク |