美並村立高山小学校 (みなみそんりつ たかやましょうがっこう)は、かつて岐阜県郡上郡美並村(現・郡上市)に存在した公立小学校。
概要
- 郡上郡美並村南西部(高砂・山田)が校区であり旧・郡上郡嵩田村の小学校であった。1970年廃校。
- 校名は校区の地名(高砂・山田)を合成したものである。
- 校舎は三城小学校高山分教室として、1971年3月26日まで使用された。
沿革
- 1873年(明治6年) -
- 紫烈義校の支校として、粥川村に粥川義校舎が開校。粥川村の児童が通学する。粥川寺を仮校舎とする。
- 紫烈義校の支校として、鬮本村に鬮本義校が開校。赤池村、杉原村、鬮本村、門福手村の児童が通学する。
- 1874年(明治7年)
- 4月 - 粥川義校が紫烈義校から独立し、粥川学校となる。薬師堂に移転。
- 6月 - 鬮本義校が紫烈義校から独立し、鬮本学校となる。
- 1875年(明治8年) -
- 赤池村、杉原村、鬮本村、門福手村が合併し、山田村となる。
- 高原村と粥川村が合併し、高砂村となる。
- 1876年(明治9年)1月 - 粥川学校が高砂学校に改称する。
- 1879年(明治12年) - 高砂学校が移転。高原地区が校区に加わる。
- 1880年(明治13年) -
- 高原に高砂学校高原分校を設置。
- 鬮本学校が山田学校に改称する。
- 1882年(明治15年) - 高砂学校高原分校を廃止。
- 1886年(明治19年)3月 - 高砂学校が高砂簡易科小学校、山田学校が山田簡易科小学校に改称する。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 山田村、高砂村、上田村が合併し、嵩田村が発足。
- 1890年(明治23年) - 高砂簡易科小学校が高砂尋常小学校に改称する。
- 1891年(明治24年) - 山田簡易科小学校が山田尋常小学校に改称する。
- 1909年(明治42年)7月29日 - 高砂尋常小学校と山田尋常小学校が統合し、高山尋常小学校となる。統合校舎は無く、旧・高砂尋常小学校校舎と旧・山田尋常小学校で分散授業を行う。
- 1913年(大正2年)
- 3月 - 統合校舎が完成。分散授業を廃止。
- 10月 - 高山尋常高等小学校に改称する。
- 1914年(大正3年)10月 - 農業裁縫補習学校を併設。
- 1929年(昭和4年) - 校舎、雨天体操場を新築。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 高山国民学校に改称する。
- 1947年(昭和22年)4月 - 嵩田村立高山小学校に改称する。校舎の一部を郡上郡学校組合立郡南中学校として使用する。
- 1948年(昭和23年)12月 - 郡南中学校が旧・興和青年学校[注釈 2]に移り、高山小学校での授業は廃止。
- 1954年(昭和29年)11月1日 - 嵩田村と下川村が合併し、美並村が発足。同時に美並村立高山小学校に改称する。
- 1955年(昭和30年)4月 - 一部の児童が下川小学校三戸分校に転入する。
- 1970年(昭和45年)3月 - 下川小学校と統合し、三城小学校の新設により廃校。三城小学校高山分教室となる。
- 1971年(昭和46年)3月26日 - 高山分教室が廃止。
参考文献
- 美並村史 通史編 下巻 (美並村教育委員会 1984年) P.211 - 240 250 - 254
脚注
- ^ 現在の住所表記。
- ^ 1940年に上田農業青年学校、高山農業青年学校、下川農業青年学校を統合して開校した下川村嵩田村組合立の青年学校。
関連項目