細川政国
細川 政国(ほそかわ まさくに)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将。細川典厩家2代当主。 生涯典厩家の当主・細川持賢の養子となり、応仁2年(1468年)に養父が死去したため家督を継いで当主となった。応仁の乱では東軍の細川勝元を支持した。西軍の一色義直が丹後守護を解かれると、文明元年(1469年)に若狭武田氏の武田信賢が丹後守護に任じられた。このとき政国は丹後国与謝郡の分郡守護に任じられたため、典厩家の家臣・天竺孫四郎を出兵させ、信賢の家臣・逸見駿河守らと共に丹後に討ち入らせた。文明5年(1473年)に勝元が死去して幼少の嫡男・政元が家督を継ぐと、その後見人として補佐を務めた。 文明17年(1485年)、8代将軍・足利義政に従って出家した。文明18年(1486年)には摂津西成郡の分郡守護に任じられている。 明応4年(1495年)8月23日に死去。後を子・政賢が継いだ。 系譜 |