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箭田町
やたちょう
箭田町
廃止日
1952年4月1日
廃止理由
新設合併
箭田町
、
二万村
、
大備村
、
薗村
、
呉妹村
→
真備町
現在の自治体
倉敷市
廃止時点のデータ
国
日本
地方
中国地方
(
山陽地方
)
都道府県
岡山県
郡
吉備郡
市町村コード
なし(導入前に廃止)
総人口
2,986
人
(
国勢調査
、1950年)
隣接自治体
薗村、二万村、
穂井田村
、呉妹村
箭田町役場
所在地
岡山県吉備郡箭田町
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示
箭田町
(やたちょう
[
1
]
)は、
岡山県
吉備郡
にあった
村
。現在の
倉敷市
の一部にあたる。
地理
小田川
中流域の沖積平野に位置していた
[
2
]
。
歴史
1876年
(明治9年)
下道郡
矢田村、八田村が合併して
箭田村
が成立
[
2
]
。
1889年
(明治22年)6月1日、
町村制
の施行により、下道郡箭田村が単独で村制施行し、
箭田村
が発足
[
1
]
[
2
]
。大字は編成せず
[
2
]
。
1900年
(明治33年)4月1日、郡の統合により
吉備郡
に所属
[
1
]
[
2
]
。
1950年
(昭和25年)4月1日、町制施行し
箭田町
となる
[
1
]
[
2
]
。
1952年
(昭和27年)4月1日、吉備郡二万村、大備村、薗村、呉妹村と合併し、
真備町
を新設して廃止された
[
1
]
[
2
]
。合併後、真備町大字箭田となる
[
2
]
。
地名の由来
大化前代の部民である八田部にちなむ
[
2
]
。
産業
農業、養蚕、足袋製造
[
2
]
1904年
(明治37年)妹尾達三郎が足袋製造を開始し、1912年(大正元年)徳王足袋会社を設立した
[
2
]
。
教育
1947年
(昭和22年)箭田村・二万村・穂井田村・呉妹村組合立箭田中学校開校
[
2
]
。
脚注
^
a
b
c
d
e
『市町村名変遷辞典』809頁。
^
a
b
c
d
e
f
g
h
i
j
k
l
『角川日本地名大辞典 33 岡山県』1131-1132頁。
参考文献
角川日本地名大辞典
33 岡山県
『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
関連項目
岡山県の廃止市町村一覧