第10潜水戦隊(だい10せんすいせんたい、10th Submarine Squadron , 10th Submarine Flotilla )は、イギリス海軍 の潜水艦 部隊。第一次 から第二次世界大戦 にかけて活動した在来型潜水艦部隊と、第二次世界大戦後の冷戦 の中で弾道ミサイル潜水艦 を装備し戦略抑止哨戒に当たった部隊がある。
歴史
第二次世界大戦
第10潜水戦隊 (10th Submarine Flotilla )は、第一次世界大戦 中に編成された[ 1] 。第二次世界大戦 中には、1941年1月にマルタ島 にて編成された[ 2] 。当時のイギリス地中海艦隊 司令官アンドルー・カニンガム は、イタリア と北アフリカ を結ぶ敵船舶ルートを攻撃する決意を抱いて、マルタ島をその拠点とし、戦隊を編成した[ 3] 。戦隊は、イギリス地中海艦隊 に配属されたイギリス海軍の潜水艦と亡命ポーランド海軍 潜水艦(ソクウ (英語版 ) 〈ORP Sokół , N97〉およびジク (英語版 ) 〈ORP Dzik , P52〉)ほか、枢軸国 の侵攻から逃れてきたいくつかの国(自由フランス 、オランダ 、ギリシャ )[ 4] の亡命潜水艦乗員が運用する潜水艦(すべてU級潜水艦 )からなる部隊であった[ 5] 。
第二次大戦中の第10潜水戦隊はU級潜水艦 を主として亡命ポーランド海軍の若干数の潜水艦を装備していた[ 6] 。編成当初の所属艦は、アンビーテン (英語版 ) 、アプホルダー 、ユナイテッド (英語版 ) 、アップライト 、ウナ (英語版 ) 、アンシーン (英語版 ) 、アンベンディング (英語版 ) 、アンブロークン 、アージ 、アットモスト (英語版 ) 、P38 、アーシュラ (英語版 ) 、ソクウ(ポーランド海軍)、ジク(同)であった[ 7] 。
マルタにおける戦隊の基地は、首都ヴァレッタ の主要港グランド・ハーバー (グランド・ハーバーはまたイギリス地中海艦隊の基地でもあった)とヴァレッタ市街で隔てられて北にあるマルサムシェット港(Marsamxett Harbour)内に設けられた。マルサムシェットは深い入り江状の港で入り江の中央にはマンウェル島(Manoel Island)という島があり、この島の南岸にあるかつてハンセン氏病 の隔離病院として使われていた建物が基地庁舎として、島の南側の入り江ラザレット・クリークが潜水艦岸壁として使われていた[ 8] 。この基地は英国軍艦タルボット(HMS Talbot )と呼ばれていた[ 9] 。マンウェル島の潜水艦基地は、枢軸国の優先空襲目標であった[ 10] [ 11] 。1942年4月には枢軸国軍の爆撃の激化により戦隊はマルタからの一時退避に追い込まれ[ 11] [ 12] 、エジプト ・アレクサンドリア へ、次いでイギリス委任統治領パレスチナ ・ハイファ に退避した[ 13] 。その後、地中海における反攻作戦の進展とともに戦隊は順次マルタに帰還し[ 14] 、イタリアの降伏 後の1943年秋にはラ・マッダレーナ島 に移転し、同地において1944年9月21日に解隊された[ 15] 。
マルタ島の潜水艦基地に係留されている機雷敷設潜水艦ロークウァル (英語版 ) (HMS Rorqual )とT級潜水艦 サンダーボルト (HMS Thunderbolt )、1943年
1941年5月24日、戦隊に所属していたアプホルダー (HMS Upholder , P37)は、シチリア島 沖で船団を攻撃し、18,000トンの客船「コンテ・ロッソ」を撃沈した。アプホルダーの艦長デイヴィッド・ワンクリン 少佐は、この功績及び成功裡に完了した数々の哨戒の功によりヴィクトリア十字章を授与された[ 16] [ 17] 。1942年4月アプホルダーが哨戒から帰投せず、喪失を宣告された際、その顕著な功績に鑑みて英海軍本部 は全くの異例の措置として、声明を発表してアプホルダーとその乗員を顕彰した[ 18] 。
戦隊は保有する潜水艦が12隻を超えたことは一度もない小部隊だった[ 19] 。また、地中海 の条件に適していたとはいえ、同時代のドイツ海軍 やアメリカ海軍 とくらべて見劣りのする性能と劣悪な居住条件のU級潜水艦を装備していたにもかかわらず、第10潜水戦隊は、1941年2月25日のアップライト による初戦果以来、3年半の間に、64万8,629トンの敵国艦船を撃沈し、40万0,080トンに損害を与え[ 20] 、ついにエルヴィン・ロンメル の北アフリカ戦線 への補給線を切断することに成功した[ 21] 。
冷戦
第10潜水戦隊 (10th Submarine Squadron )は、1960年代、スコットランド ・ファスレーンのクライド海軍基地 で、イギリスの核抑止戦力の一部であるポラリス・ミサイル を装備したレゾリューション級原子力潜水艦 を指揮するために編成された。戦隊はのちに、トライデント・ミサイル を装備したヴァンガード級原子力潜水艦 を指揮するようになった。この戦隊が「第10」の附番をなされたことは偶然ではなく、第二次世界大戦の地中海の戦い および北アフリカ戦線 の帰趨に寄与したかつての第10潜水戦隊 を顕彰するものであると、フォークランド紛争 時の英派遣軍司令官であり自身も潜水艦乗員出身であるジョン・フィールドハウス 元帥 は示唆している[ 22] 。
1993年10月、ファスレーンの第3および第10戦隊は、新しく第1潜水戦隊に合併された。
2002年2月、現存の潜水戦隊(suqadrons)はすべて解体され、デヴォンポート海軍基地 、ポーツマス海軍基地 、ファスレーン海軍基地 を拠点とする3つの小艦隊(flotillas)に置き換えられた。
所属潜水艦
冷戦期の部隊 に所属した艦のみ記載する[ 23] [ 24] 。第二次大戦中の部隊 の所属艦はU級潜水艦 を参照[ 25] 。
艦級
艦名
起工
進水
就役
初哨戒
その後
レゾリューション級
レゾリューション
1964年2月26日
1966年9月15日
1967年10月2日
退役 1994年
レパルス
1965年3月12日
1967年11月4日
1968年9月28日
退役 1996年
レナウン
1964年6月25日
1967年2月25日
1968年11月15日
退役 1996年
リヴェンジ
1965年5月19日
1968年3月15日
1969年12月4日
退役 1992年
ヴァンガード級
ヴァンガード
1986年9月3日
1992年3月4日
1993年8月14日
1994年12月
現役
ヴィクトリアス
1987年12月3日
1993年9月29日
1995年1月7日
1995年12月
現役
ヴィジラント
1991年2月16日
1995年10月14日
1996年11月2日
1998年6月
現役
ヴェンジャンス
1993年2月1日
1998年9月19日
1999年11月27日
2001年2月
現役
脚注
^ Dittmar, F.J.; Colledge, J.J (1972). British warships, 1914-1919, . Shepperton: Ian Allan. pp. 15-27. ISBN 0711003807
^ Gill, Stephen Paul (October 2011). Forging the flotilla The Royal Navy’s submarine campaign from Malta 1940-1943. . NATIONAL UNIVERSITY OF IRELAND MAYNOOTH. p. 2
^ ウィンゲート[1994]: 43
^ ウィンゲート[1994]: 33
^ “1 September 1941: Malta is New Base for 10th Submarine Flotilla ”. Malta: War Diary (1 September 2016). 24 July 2017 閲覧。
^ Allied, Newspapers (19 February 2012). “Malta-based British forces destroy most of Rommel’s supplies in 1941” . Times of Malta . https://www.timesofmalta.com/articles/view/20120219/life-features/Malta-based-British-forces-destroy-most-of-Rommel-s-supplies-in-1941.407478 24 July 2017 閲覧。
^ Allied, Newspapers (19 February 2012). “Malta-based British forces destroy most of Rommel's supplies in 1941” . Times of Malta . https://www.timesofmalta.com/articles/view/20120219/life-features/Malta-based-British-forces-destroy-most-of-Rommel-s-supplies-in-1941.407478 31 May 2024 閲覧。
^ ウィンゲート[1994]: 41-42 。グランド・ハーバーおよびマルサムシェット港周辺の地理は巻頭地図「マルタ島周辺部」をも参照
^ “BRITISH SUBMARINE BASE AT MALTA. 26, 27 AND 28 JANUARY 1943, HMS TALBOT, THE ROYAL NAVAL SUBMARINE BASE AT MALTA. ” (英語). Imperial War Museums . 22 June 2021 閲覧。
^ “X Lighters - The Wreck of X127 ”. www.xlighter.org . 24 July 2017 閲覧。
^ a b “Wreck of WWII Submarine HMS Urge Found Off Malta ” (英語). The Maritime Executive . 22 June 2021 閲覧。
^ ウィンゲート[1994]: 222-223
^ ウィンゲート[1994]: 第一八章
^ ウィンゲート[1994]: 第一九章
^ ウィンゲート[1994]: 410
^ “British Submarines in World War 2 ”. www.naval-history.net . 24 July 2017 閲覧。
^ “HMS Upholder (N 99) of the Royal Navy - British Submarine of the U class - Allied Warships of WWII - uboat.net ” (英語). uboat.net . 24 July 2017 閲覧。
^ ウィンゲート[1994]: 217-220 。声明文の引用はアプホルダー (U級潜水艦)#顕彰 を参照
^ Gill, Stephen Paul (October 2011). Forging the flotilla The Royal Navy’s submarine campaign from Malta 1940-1943. . NATIONAL UNIVERSITY OF IRELAND MAYNOOTH. p. 3
^ ウィンゲート[1994]: 412-413
^ 秋山[1994]: 415-416
^ ウィンゲート[1994]: 29
^ Gardiner, Robert Conway's All the World's Fighting Ships 1947-1995, pub Conway Maritime Press, 1995
^ Jane's Fighting Ships, 2004–2005. Jane's Information Group Limited
^ 当時のイギリス地中海艦隊司令官アンドルー・カニンガム は地中海へのU級潜水艦の配備を要求し、英海軍省は「U級潜水艦--それらが建造され、配備可能になり次第--を派遣することに同意した」(ウィンゲート[1994 : 43])。結果としてU級潜水艦はその後ももっぱら地中海のマルタ島に、したがって第10潜水戦隊に配備された。
参考文献
秋山信雄、1994、「訳者あとがき」、ジョン・ウインゲート(秋山信雄訳)『イギリス潜水艦隊の死闘』、早川書房 ISBN 4-15-207857-X pp. 415–417
Captain Mike Gregory RN, "Commanding an SSBN Squadron," The RUSI Journal, Volume 137, 1992 - Issue 5
ジョン・ウインゲート、秋山信雄(訳)、1994、『イギリス潜水艦隊の死闘』、早川書房 ISBN 4-15-207857-X