第10回全国中等学校優勝野球大会は、1924年(大正13年)8月13日から19日まで甲子園大運動場で実施された全国中等学校優勝野球大会である。
概要
前回大会の準決勝で観衆が球場から溢れて試合が中断したことを契機として、阪神電気鉄道専務の三崎省三の尽力により、この年の7月31日に甲子園大運動場(甲子園球場)が完成した。また、この大会より初めて指定席に限って入場料を徴収した。
大会3日目で甲子園は超満員となり、5万人入るには10年かかると見ていた関係者を驚かせたという[1]。
優勝した広島商は兵庫以西、また実業学校として初の全国制覇となった[1]。
代表校
試合結果
1回戦
- 北海中 5x - 4 静岡中(延長12回)
- 台北商 6 - 2 金沢一中
- 鳥取一中 10 - 0 京城中
2回戦
- 宇都宮中 10 - 7 佐賀中
- 大連商 4 - 3 愛知一中
- 広島商 4 - 2 和歌山中
- 市岡中 8 - 5 北海中
- 松本商 7 - 2 台北商
- 鳥取一中 15 - 2 同志社中
- 第一神港商 11 - 5 早稲田実
- 松山商 13 - 1 秋田中
準々決勝
- 大連商 6 - 3 市岡中
- 広島商 13 - 10 第一神港商(延長10回)
- 鳥取一中 5 - 4 宇都宮中
- 松本商 5 - 2 松山商
準決勝
- 広島商 7x - 6 大連商(延長12回)
- 松本商 9 - 3 鳥取一中
決勝
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1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
R |
H |
E |
松本商
| 0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
4 |
4 |
広島商
| 0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
3 |
X |
3 |
8 |
3 |
- (松):伊藤 - 手塚
- (広):浜井 - 杉田
大会本塁打
- 第1号:田中市太郎(静岡中)[2]
- 第2号:田子栄一(台北商)
- 第3号:中島均(鳥取一中)
- 第4号:横山保正(鳥取一中)
- 第5号:横山保正(鳥取一中)
- 第6号:土肥梅之助(市岡中)
- 第7号:土肥梅之助(市岡中)
- 第8号:小林駒次郎(北海中)
- 第9号:田子栄一(台北商)
- 第10号:中島均(鳥取一中)
- 第11号:山下実(第一神港商)
- 第12号:山口七郎(早稲田実)
- 第13号:森茂雄(松山商)
- 第14号:小柴重吉(第一神港商)
- 第15号:梶上初一(広島商)
- 第16号:森茂雄(松山商)
- 第17号:梶上初一(広島商)
- 第18号:西村成敏(松本商)
- 第19号:西村成敏(松本商)
その他の主な出場選手
脚注
- ^ a b アサヒグラフ増刊1978.8.1号『熱球にかけた青春の記録 甲子園大会60年の歩み』 pp45
- ^ 選手権大会史上初の満塁本塁打。
関連項目
外部リンク
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地方大会 | |
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地方別成績 | |
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楽曲 | |
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関連項目 | |
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1942年から1945年は中断。取り消し線は開催中止。 |